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思い出

ある家族への想い (後悔)

ある家族への想い(後悔)

頬に生暖かい風が触れる、台風4号の来襲を予感させる、空の色が雨雲が用心せよと警告しているようである。

幾多の人と出会い、悲しみ喜びを共有した友情の数々、心ならずも意に反して別れを余儀なくされた男と家族、大きな反省を込めてここに記しておきたい。

もう随分前のことである、平成15年から16年にかけての物語である、詫びを込めて書き留めたい。

彼からある相談が持ち込まれた、それは金銭関係から相続問題に及んでいた、重苦しい現実が赤裸々に語られた。「

私が後悔を余儀なくされる自身の健康問題が緊急課題として身に迫っていた時期でもあった。

「Sさん!顔色が悪いけど大丈夫 ? パパよりひどそうよ !」病に臥す義兄を病院に見舞った折、義姉が私の身を案じて言った言葉だった。

ひどく痩せて顔色の悪い私は自身の体調の悪さを自覚していた、2人の実兄は共に60歳で亡くなっていた、次は自分の順番だと私は覚悟していた、そんな時の相談だったのである。

相談者に時間の余裕はあるのだが、私の余命は限られている、解決を焦る私と相手の肉親問題の遅々たる現実に私の助言もついキツくなった、悲しいことだが私は身を引くことにした。

彼には素直で良い子供達がいた一緒にビアガーデンへも行った、その愛しい家族の姿を見る程に解決を急ぐ私の葛藤があった。

彼らの家族へ迫り来る私の健康問題は最後まで伝えなかった。

Sの性急な解決策に彼らは戸惑った事だろう、後悔があとから身を責めることになる。

彼は、支店トップの地位に迫っていたが諸々の事情で退職の道を選んだ、ある事業を開いて私も一度訪ねたが、ガンの手術が間近に迫っていた。

私の病気との闘い、覚悟の日々を迎えて彼の家族への思いは次第に薄らいでいった、命の極限、見るもの全てがモノクロ、セピア色の世界に染まってゆく。

8月の夏、手術の段階で病気はステージ3になっていた、旧四国

ガンセンターの生活は、家族への後悔の思いと、お人好しである事の家族への背信で我が身を責める毎日でもあった。

私の肉親との決別は沢山の善人と比較して、いかに常識を弁えないのかとの苦しみから生じた、私の生家U家との決別だった。

ガンを患わなかったら、私は彼の家族を助けていたはずである、再出発をこの目で見届けていた、彼ら夫婦も70歳に到達している、

そして、あの可愛かった僕とお嬢ちゃんも結婚して家庭の主人におさまっているに違いない。

逢いたい  !

会って男の非情を詫びたい、彼は、私の弧線を震わす少林寺拳法に青春の灯を燃やしたガッツマンだった。

「忘却とは忘れ去ることなり  忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」

菊田一夫作   君の名はのナレーションで有る。   

ある家族への想い(後悔)   !?

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