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思い出

野獣の目を持った男 芦原 光芒煌いて。

「Sさん、どんなに芦原さんが 空手が強いと言っても喧嘩慣れした
ヤクザ4~5人相手に1分以内でけりをつけられますか ?」

私の別ブログ 上杉の交友録2「芦原会館初代館長 芦原英幸」
を見た知人数人から不満げな問い合わせがあった。

(そうだろうか、出来まいか、どうして ?)  逆に私が聞きたい。

空手を知らない人は、そう疑問に思うだろうが、いざ経験した者は
ぼんやりながらも理解できる筈である。

まず、芦原さん(以下敬称略) は、相手がどんなに顔や腹部を殴って
来ても、痛くも痒くもない。

彼の攻撃は、相手が攻撃中であっても、その突き、蹴りを突き破って
相手に叩き込むことが出来る、だから芦原の攻撃一方でけりがつく、
その所要時間、5人で1分あれば出来る。

私はそう確信して判断した、だからブログで述べたのである。
現に私が知っている元芦原会館最高師範 現中元会館中元憲義館長
正道会館四国本部長二宮博昭師範等であれば難なくやってのける。

遊び人の世界で少々喧嘩が強いと言っても、その破壊力の程度では
芦原、二宮、中元に通用する筈もないし、相手の攻撃、反撃がどうで
あれ、それを突破して (引き裂いて) 彼らの急所に拳や蹴りがのめり
込むはずである。

改めて言う、1分。
ひとり、一発づつ、それも五人、それで済む。

試しに空手道場へ入門して、師範たちや先輩達の力量に接してみて
ください、百聞は一見にしかず。

相手が逃げ回れば捕まえる時間が要るだけ不可能だろうが、
まともに相手してくれれば問題はない。

あの時、私が合の手をいれず相手が更に増長して手を出していれば、
間違いなく喫茶店は、いや芦原は相手を外に出したであろうが、
彼ら5人は、血の海に沈んでいた。

私が果たした役割は、誰にも勝ち負けはないものの無駄な争い
修羅場を避けて双方が加害者、被害者の立場にならなかった事である。

そのためには、芦原の以後のためにも良い結果だったと思っている。

それよりもずっと後年、噂に依れば、芦原に向けられたピストルを
持った刺客が、裏拳で頬骨陥落の痛手を負わされた松山での事件を
振り返れば判るはずである。

愛媛県八幡浜市の闇に埋もれた喫茶店キリンでの出来事は、
彼らにとって危機一髪、芦原の豪腕を食らわなかった幸運というべき
ことなのである。

その舞台の喫茶店は、名曲喫茶 キリン と 言った。
時代の流れに その喫茶店は 今はない。

私は、年に2回、春と秋のお彼岸に先祖のお墓参りに帰郷する、
その喫茶店の在った千代田町周辺をゆっくりと車を走らせる。

芦原会館の精鋭たちが道着姿で声を出しながら駆けまわる姿が蘇る、
芦原会館発祥の地、聖地 八幡浜は、時代の流れ 過疎の地に在る。

「空手! 空手! 空手がなんぞ! ドス ひとつあれば 一発よ!」 
芦原に聞こえるように、チンピラが捨て台詞を吐いた!

芦原は、顔をうつむかせて、血の気が引いた、そして沈黙!

一発入れようかとの迫力、だが路上ではない、ここは喫茶店の中だ!
彼は、必死に自分の野獣の心を抑えている!

芦原、苦闘時代の一幕である。

あの時、相間見えた、芦原 相手方のT兄貴、捨て台詞を吐いたT 
奇しくも、
この三人は、もうこの世には居ない、あの世ではどうだろうか ?

私の青春に、彼らの光芒はきらめいて燃えた、
過ぎ去りし、懐かしい思い出である。

野獣の目を持った男 芦原 光芒煌いて。

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