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思い出

男達の挽歌  芦原残照

穏やかな日差しが街を覆う、久しぶりに息子の床屋へ散髪に行った。

昨日、予約の電話を入れたが肝心の店主の息子は休みを取っていた、そのため今日の午後予約を入れて、勇んで出かけたところである。

彼も40歳になりふたりの娘も高校生になった、立派なパパちゃんになった。大人の男の責任が取れる社会人、息子と云うが私が勝手に願望を込めて息子と言っているだけだが、本当に男らしい義理人情を弁えた男である。

先客が2人いて、1人は控えている予約客と交代に終わって出て行った。私以外は若い男2人、3人の客が並んで神妙に椅子に座った、各席語らいが始まった、私の元へは息子のマスタ-が見えてハサミから始まった。

本日のメインエベンタ-は、大人しくしている相手の器量が判るか? それにつけてどう対応するか ! 先に彼の経験談を聞いてから後、私の番で過去の出来事を開陳した。

ふたりの共通点は、大人しく対応すると結構増長して舐めてくる男がいる、反対に、大人しい中に胆力の備わっている有無を察する男達がいて、そんな男達はキチンと礼儀を尽くしてくれる。

との結論が出た、それから各自の経験談に入ったのである。

彼の事例は抱腹絶倒となった、裸の場面もあるので割愛するが、普段大人しい彼が切れると自分を見失うほど激昂する、そうなると相手は災難である、そこに女房が登場するから話は佳境に入る、久しぶりに腹がよじれた !

たまには息抜きの爆笑が良い新陳代謝の面でも抜群の効果、てき面である。

私は、よみがえること故郷での若かりし頃に、空手のカリスマ芦原会館初代芦原英幸館長との名曲喫茶での想い出にさかのぼった。

館長と私がお茶のみに入ったひと時の逸話である、そこに格好の強面が登場する、

別ブログ

上杉の交友録2「芦原会館初代館長 芦原英幸」と杉の子のひとり言「その男 誰」 に登場する男達である。

「空手! 空〇! 〇手がなんぞ! ドス 〇〇〇あれば 一発よ !」

女を〇えた〇人のアロハシャツの男達が、無〇講に騒いでいた。見るからに〇〇そうな男がリー〇ー格

今振り返ると、あの時チンピラの吐いた言葉は芦原館長にではなく私に向って毒づいた啖呵だったような気がしてならない。

それはダンスパ-ティでの手仕舞いが、殴り合いになるでもなく、私の諭しで納まったことにある、

数十人の男女の前で一言の文句も言えず、ましてや殴って来るでもなく引き下がった男にとって、忘れられない屈辱だったのではなかったか ?

名曲喫茶の出来事は、それから数年後、男が頭角を現して町を肩で風切るポジションに納まった頃だったのである、

「江戸の仇を長崎で !」 町一番の兄貴分 T兄同伴の勢いもあって、積み重なった無念が啖呵として出たのではなかったのか ?

そうなれば芦原館長にはご迷惑を掛けたことになる、今度墓前で詫びなければならない。

一緒にいた男達は、それ以降もサラッと挨拶を交し合ったことを考えると彼のどちらかと言えば陰に籠もった性格が哀れだったと云う事になる。

日頃、すれ違うことの多かった男だけに、私の方から声を掛けてやれば彼の胸のもやもやは消えていたのではないか、そう振り返るこの頃である。

芦原館長、強面Bともに黄泉の国へ旅立ってしまった、何時の日かあの世で詫びのひとつも述べてお酒をお酌せねばならない。

床屋のマスタ-、息子との器量の有無、男の作法 エトセトラ ? は爆笑の内に終わった、午後の陽射しは更に力を増していた   !?

 

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