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日常生活

M 1 あれこれ

漫才のM1グランプリー2018と大相撲貴ノ岩暴力事件、今、世情を賑わせている出来事について述べてみたい。

横綱日馬富士の貴ノ岩乱打と日大アメフト事件の記憶に新しい、これらの暴力事件を語る時、自身の経験と格闘技界の 現状に複雑な思いに至るのも事実である。

稽古、鍛錬、練習と暴力でのイジメその境をどう見るかに依って評価が分かれる。

全くダメなのか、強くなるためには必要な過程なのか、日本と他の国を比べた時、どのような差異があるのか ?勿論、国民感情の違いは考慮しなくてはならない。

私的には、肉体、精神、両面においても極限まで追求する練習は必要だと思っている、大事なことは、そこに愛情が伴った行為なのかどうかである。

愛情の伴わない稽古は、常に不測の事態が起こり得ると思わなければならない、指導者の個人感情如何で事故、事件は起こってしまう。

愛情は気配りを伴うが、伴わない場合は、つい指導者の感情次第で狂気が凶器に変わる、大怪我につながる。

M1グランプリー2018

終了後の飲み会での審査員への侮辱発言騒動について世論が沸騰している、

とろサーモン久保田とスーパーマラドーナ武智の審査員上沼恵美子へ暴言を放った騒動で2人へのバッシングが花ざかり ?

私が抱いている疑問に踏み込む視聴者がいないことに日本の悪しき現状に疑問を提起したい。

私は和牛が好きで今年こと、漫才M1チャンピオンになったと思っていた、しかし、霜降り明星に栄冠は輝いた。

それはそれで納得しているが、審査員の質、適格者であるかと疑問提起する声がバッシングに消されて聞こえてこない。

騒動の被害者と同情される上沼に果たして非はないのか、日頃テレビで見る傲慢な女史の姿がそのまんまM1レースに現れていた。

ミキに対する過剰な身びいき投げ言葉、他の出場者はどう見ただろうか  ?しのぎを削り、神経をすり減らして頑張っている彼らの目や耳に上沼の行為は容認されるものだっただろうか  

自ら語る未熟な審査員へ上村の身びいき発言は陰に陽に影響を与えたはずである、上沼こそ必至に挑む若手芸人の、ラストチャンスにかける漫才師の想いに答える義務がある、軽々に贔屓なコンビを称えるべきで はない。

審査員の原則、審査の間は例えひいきのコンビがいても個人感情を交えた発言をしない、それが点数をつける審査員の鉄則。

もしこの件で久保田、武智がテレビ界から追放されるなら、原因の一端を作った上沼恵美子もテレビ業界から引退するのが筋ではないか。

それほど審査員の責務は重い。

バッシングされる2人を意味もなくかばう訳ではない、その前に審査員の質が問われなければならないと指摘しているのである。

巷から声が上がって来ている

せめて決勝戦は一般視聴者をも審査委員に入れるべきである    !?

 

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