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武道

男達の挽歌 芦原 追憶

港町に芦原師範が降り立ったのは、彼が22~23歳の頃である、 野獣の目を持った妖気が匂い立つ謎の男の登場に港町は噂で持ちきりになった、私にまで聞いてくるチンピラがいた。

「Sさん、芦原は本当に強いの ?」 港町でくすぶる男達には異質な男の登場は一種悩ましいものだった。 計り知れない怖さでも有った。

一番弟子、正道会館四国本部長二宮師範の実家からM小近くの古 アパ-トに引っ越して間もなく私は彼のアパトへ遊びに行くように なった、貧乏真っ只中、常に腹をすかせていた。

今考えても彼が偉かったのは、お金の話をしたことがないと云う 事である、常に腹をすかせていた若者にとって空腹は耐えがたい ことに違いない、その金欠の侘しさを彼は私に見せなかった。

振り返ると酌んでやれなかった私が甲斐性なしだったことになる、 そのアパ-トで交わした青年の日の語らいは、ふたりの大切な 追憶の中に納まっている、数々の門外不出の話が詰まっている。

その当時の彼は女性に純情だった、いじらしいほどの可愛さだった、 人前ではけして黙して語らなかった、胸中を私は良く分かっていた、 私自身が、女性に初心な男だったからである。

二人だけが知る青春の日の男の純情、昨日の事のように思い出す。

町の人は芦原師範を何と呼んだか ?

普通の市井の人は、尊敬を込めて「芦原先生」

若者達は同じく「芦原先生」

チンピラはじめ元気者達は陰で「芦原」と呼び捨てだが本人の前では 言葉をかけることさえ出来なかった。

ところが本人の前で唯一「芦原」と呼んだのが通称T兄だけ、 何故そう呼んだか、芦原の本当の強さを見抜いていたからである。

空手に強いだけの危なかしい野郎だったら危なくて呼べない、芦原の 本質を知っていたから安心して敢えて呼び捨てにしたのである。

これは彼ら一流の見栄からそう呼んだ、芦原が腰を据えて睨んだら T兄と云えども呼び捨てに出来なかった筈である、好きに言わせた 芦原が偉い !

その事については、私に愚痴めいて弁明した事があるが、それだけ 芦原の人柄は無邪気で内面に素晴らしいものを持っていた武人だった証だと言えよう。

いざとなればT兄と云えども芦原の敵ではない、秒殺でけりがつく !

芦原苦闘時代を経て空手バカ一代ブ-ム、そして世界の桧舞台へと飛び出すことになる  !?

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