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人生

男の祈り

祈り

人は、辛い時、悲しい時、何かに縋りたくなる、一人でいることの心細さ、それは自分では解決できない時に起こる依存心。

人間とは日ごろ強がっていても所詮弱き者、どんな荒くれでも衆を頼みたくなる、深夜興行の東映映画 昭和残侠伝   高倉健さん覚悟の殴り込み。

こんな手合いがいれば上司は百人力だが現代はまずいないだろう、たまに若い者が出頭の場面を見る、悲しい世界だなと別の意味で彼らの立場に同情する。

まず社会で派手やかにスポットライトを浴びる企業家には有り得ない、責任逃れのトップの姿を嫌という程見飽きしてきた日本社会である。

私は、数年前に四国八十八ケ所巡りを行った、車での二人同伴、祈りの旅   !

親しい知人達にその話をすると結構な人達が参拝していることが分かる、驚きだったのは、新人の頃からずっと付き合いのある捜査関係者OBが祈りの道へ足を踏み入れていることである。

事件、軽いものから凶悪犯まで、様々な人間の業を見る立場にいると何かを求めたくなるのかも知れない。

もう一つの驚きは、金融関係の仕事をしている人、それも普通銀行、バンクでなく、いえば個人の金融業者、それも参拝を数度に渡って実践、反復しているというのである。

いつの日か、突き動かすその心を知りたいと思っている。

彼は、家庭の経済的事情で中学卒業と同時に社会へ出た、その行程を私は存じているが妻の内助の功を得て、子供達の教育は立派にやり遂げている。

彼の近所に私の友がいる、以前紹介したことで、いつ出会っても礼節を弁えた挨拶を寄越すそうである。

参拝の中で、人間とは、どうあるべきか、何かを会得したのだと思う、彼の若い頃を思い出すと神社仏閣を参拝をするような男ではなかったのである。

祈り、男の祈り、祈りの世界、

私は、今、数人の関係者のために、病気平癒の祈りを捧げている。

健康でこそ嬉しい現世、その為なら辛い闘病生活もくじけず頑張ってもらいたい、私さえ出来たのだから ❗️

私の究極の処世術は、

「為せば成る為さねば成らぬ何事も」  「ケ・セラ・セラ!」

祈りから会得した自己革命、 我以外皆師          !?

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