広告
思い出

袖すり合うも多生の縁

お国柄が違うと物の考え方がだいぶ違う、今ある事で県外の問題に直面している。

普段、気に留めなかった事がそこでは異なる。所変われば品変わる、その対応が面白い、白が黒にはならぬが灰色ぐらいには変色する。

融通性のない人には苦痛だろうと思わないでもない、そんなところで私に白羽の矢が立った。

今月に入って大きな案件を抱えているので中旬以降になら出向くことも厭わない、そのように返事している。

少年の頃は出不精で、よそへ行くのが心細い軟弱な男だったが、あるキッカケで行き染めたら、逆に知らぬ土地へ行くのが快感になった。

私の人見知りからの脱却は、旅の恥はかき捨て!これだった、汽車で行けば同席のお客さんに話しかける、車なら車を止めて声をかける。

「何々へ行きたいのですが、どう行けば良いでしょうか?」

必ず返事は返る、その応対の良し悪しはあっても日本人は基本的に親切である。

こうして人との会話に慣れていった、安上がりな学習方法だった、妙な度胸がつく、何かをやる事で胆力が備わる、その上、その道の勇者との出会いが開かれた。

私の背中に通る芯はそれらの勇気ある人々に負うところが大きい、こうして欠点を克服していった。

内緒にしている事だが少しだけ紹介する、商売をしていた若い頃、その土地の同業者との関係は表面的には良好だが、結構ライバル心がぶつかるものである。

相手が小心者なら結構陰口を叩かれる、それでも私は反発しなかった、武道をかじったお陰で小さな事にこだわらなくなったのである。

「陰口は言わしておけば良い  !」 それが私の信条だった。

月日が経って、たまに帰ると、そんな相手の店に寄ってみる、ここが面白い、あの時代から現在も継続して勤めている女性がいる。

その表情が面白い、初めは私の来店に驚く、そして気を使う、あれほど陰口を叩いた私が何のわだかまりもなく来店する、その顔のこわばりが回数を重ねる毎に解消してリスペクトへと。

人間は、ぐっと我慢して誠意を示せば相手の心に染み込むもの私の嬉しい自己研鑽である。

人は善意で見ていると、当の相手が反省から好意へと変わる、そこで私はひと押しする、何かの集まりがあれば率先して利用してあげるのである、相手は悪い気がする筈はない。

「どうせ使うお金なら、あの店に使ってあげようよ   !」

人間の器量を争う訳ではないが余裕のある方が手を差し伸べれば良いのである。

こうして私はこの世から嫌いな人を減らして行く、

「袖すり合うも他生の縁」

混沌とした世界情勢、外国との軋轢がどんなキッカケで戦争になるかも知れない、その時、日本人同士が愛しくなる、助ける !

この例だけでなく、組織で対立していた役職の会員へ声をかけた事がある、電話だったが「喫茶店で会いませんか  ?」相手は驚いて「私で良いのですか  ?」と答えた。

それから、どこで出会っても、笑顔で声をかけ合った、残念なことに病を抱えていた彼は、薬石こうなく若くして亡くなった。

亡くなる迄、笑顔を見せ合った事が私には貴重な想い出になりました。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告