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武道

11月の風 カラテ道

人間の潜在能力

「その兵隊さんはの、上官のイジメに耐えて我慢していたが、とうとう堪忍袋が切れての、手を出したのよ   !」

沖縄出身の二等兵、一撃で上官は倒された、即死だったという、修得した空手を使わなかった二等兵もついに我慢の緒が切れた。

戦後、復員したMおじさんは遠くを見るように話し始めた、

それが空手というものを知る最初だった、怖い武道との印象が私の頭の中に残されていく。

「あのおじさんは空手が強いそうだ   ?」 家の前を時々歩く女友達Tちゃんのお父さんの事を年上の兄ちゃんが教えてくれた。

いつ出会っても優しくおとなしいおじさん、怖いイメージの空手とは結びつかなかった。

私が小学高学年から中学になると隣部落の大学生の格好の良い兄ちゃんが時々休みに帰ってきた。

松山の大学で空手をやっているという、(ええ、あんな優しそうな兄ちゃんなのに、そんなに強いの  ?)

私の空手への憧れが芽生えた人達である、高校へ入ると仲良しの又同級生の兄貴が松山商科大学空手部の主将を務めていた、この人の噂は街中に広まっていた、歴代主将でも名主将の誉れ高い人である。

それでもまだ映画の世界では柔道のヒーローの敵役でしかなかった、世間で怖いイメージーの空手だったのである。

私が10代の終わり、田舎に松山の試験場を卒業した先輩が帰って来た、町道場で空手を習ったと自慢していた、酒が入ると険になった、ある時、とらの威を借りた先輩の同級生が私の従兄弟を殴った。(だったら、自分が習って強くなるよ   !)

空手の先輩は同級生を止めなかった、私の空手修得者への憧れは消えた、家出して松山へ向かうのに時間はかからなかった、日本空手協会の門を叩くのである。

私は、25歳で商売を始めたので、空手の稽古はそこで終わった、その代わり実戦という舞台に否応なく立たされることになる、素手で、ビール瓶、刃物が向けられる修羅の場が待っていた !

今、振り返っても大変な世界だった、

警察官なら、警察という組織の後ろ盾がある、ヤクザの組織でもそう、数で押してくる、しかし、私たち商売人はあくまでも心細い一個人で臨まなければならない。

生半可な知識、腕では通用しないのである、多数の前で1人の力は知れている、人ひねり、だから尚更衆をアテにする訳にはいかなかった。

ひとりだけの荒野、手探りの闇、孤独な水商売の世界だった、我が道を行く、私は自分だけの胆力を信じて頭を下げ続けた、自然に度胸がついて行った。

組織に守られない独立独歩、雨風はキツかった、尚更人の情が嬉しかった。

人はいつかは弱くなり朽ち果てる、喧嘩の強い弱いは逆に疎まれる、その後に残るのは人間力、人望という名の灯火なのである。

「Sさん!今でも空手をやってますか   ?」

ある流派の師範とのお茶会で、彼は笑って聞いてきた・・・幾多の猛者の顔が浮かんできた、随分亡くなってしまったものだ   !

芦原会館初代館長のエモい得ぬ笑顔が浮かんできた、11月の風が頬を打つ    !?

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