ニャンよ 安らかに
寒い寒いと肩を震わせながら身を縮める、
「年だね!あんた !「
目を凝らすiPadの向こうで、海の彼方の歌姫が片目を瞑った。
それが先日の土曜日、私の住む郊外の村は、石鎚下ろしが容赦なく吹き付ける、「もう勘弁してよ、山の神」
どうりで、ちらりほろりと姿を見せる野良犬達がいない、これも気になることである。
この地域は、私の好きな住処なのだが、か弱き彼等には冷たい、この事があって、私は遅まきながら、安住の地を隣村に代えた。
田圃の中の一本道、河川に沿った小さな公園に餌を求めてでる犬達は危害を恐れて怯えて遠巻き、それが可哀想で我が胸が痛む。
ある場所の河川の土手沿いに3匹の雑種の野良犬が姿を見せたが与える食べ物もなく通り過ぎてしまった、
「ごめんよ !」 冷たい雨が心なし強くなった「後ろ髪引かれる雨に濡れたか弱わきもの」 「ごめんよ!」
数年前、小さな子猫が我が家の庭にやって来たが、イケズそうな面構えのわりに泣く声も小さく、可愛そうなので、そのままご飯を与えるようになった。
いつのまにかお嫁さんが一緒に見えるようになり子供も生まれた、家族は隣家の軒下でそれぞれ住み着いたのである。
隣家の人々は私と同じに猫好きの愛猫家、みなさん大事に受け入れて下さった、
お父さん猫に成長した彼は「ニャン」と名前を命名して迎え入れて来た。
それは。ニャンにとっては逆に悲しい幕開けになったのである、平凡なニャン家族の前に、ずる賢い飼い猫か野良猫か分からないイエロー猫の出現による。
けたたましい鳴き声、ニャンの耳から赤い傷跡を見るようになった、私が気がつけば追い払って事なきを得たが、留守の時の出来事ならば手の打ちようがなかった、とうとうニャンに取り返しのつかない惨劇が起こる。
「Sさん血を流して喧嘩していましたよ !」
それを境にニャンの姿が消えた、数日後庭に出て様子を伺う私の耳に、隣との境のブロック塀の裏からゴソゴソ歩いてバタン、不規則な物音がしたがてっきり隣の娘さんだと勘違いした私はニャンの悲痛な助けを求める最後のあがきをキャッチしてやれなかった。
次の夜再び同じ現象が起きた事で「もしや?」と気が付いたが、踏み込んでの確認は隣の奥さんに気兼ねして確かめなかった、予測を怠った私の油断と一生我が身を責めることになった。
それ以来もニャンの家族の姿は見えるのだが肝心のニャンの姿は確認できない、私が悔やみきれない後悔となった。
声もあげれない痛手にも関わらず私の声を頼りに必死で私を追った絶命寸前のニャンがあまりにも可哀想てならない。
この数日の出来事にブログに向かう気力もない。
生きるもの達とのこの世での出会い、刹那刹那に生きる彼等は、小さな灯火でしか守られない、主人に忠誠を誓うその真心を私達は真摯に受けとめてやらなければならない。
ニャンよ 安らかに !?