追憶のキャッチボール
貧乏で子だくさんの我が家に人並みに親子のキャッチボールを見かける事は
なかった、親から見ればそんな余裕は無かったのである。
あの遠い日が追憶の彼方に浮かんで来る。
そんな環境で育った男の子は野球以外の球技にも興味は示さなかった、
だいたい、その時代女の子にモテるのは勉強が出来る子か、それとも体育に
優れてる子のどちらかと相場は決まっていた。
他人から褒められ、持ちあげられる経験はどう探しても見つからない平凡な
「僕」 それが私の子供時代だった、女の子にモテた事のないことが自慢の
有りふれた男の子だった。
だからスポットライトを浴びる事等あり得ない地味人間、寂しい田舎の普通の子
敢えて言えば可哀想な子供だった。
スポーツに打ち込んで人気を得ようと思う事さえ考えない平凡な男の子供、
そんな大衆に埋没した男の子が何を契機に奮起したのか! 思い出してみよう!
小中と成育する程にケンカの強い弱い、勉強が出来る出来ないが、スポットの
当たる当たらないに結びつく年代を迎える、それでも私の浮沈は定かでなかった。
高校も人並みの海に漂って、孤独な身からの脱出は出来なかった、
家庭の事情で長男の身でもない私に、家業農業の手伝いの要望が親から為された、
諸事情有って、その趣旨を苦悩の末承諾した私に後日本家の事業家の従兄が
「身内から一人でもいい手伝ってくれないか !」
20歳! 男の別世界が急に開けてくる。
孤独な男の佇まい!
田舎での家業手伝いの最中、私の同級生の仲良しにある先輩が恫喝! して来た、
また別の先輩も暴力に訴えて来た、
理不尽な、これらが重なって眠っていた正義心が心をもたげた、
「それなら、わしも、空手を習う! 待っとけ!」
先輩の「わしは空手をやっているぞ!」 この言葉をキッカケに
家出して県都松山市の空手道場へ入門した、
以下省略 !
幾年
結婚して苦闘中の私、身内が頼って来た辛い時代、安アパートの空き地に
息子の同級生親子がグローブとボールを手にキャッチボールを始めた、
「お父さん! キャッチボールしよう、キャッチボールして!」家に帰った私に
息子は懇願した、その言葉は、切ない響きを伴っていた。
心身ともに疲れていた私は応じる事が出来なかった、肩を落とした息子の目に
涙が滲んでいた。
一生つぐえない私の汚点である、
悲しい教訓
兄弟は他人の始まり!
兄弟を助ける事は、家庭を犠牲にする事、身から出た錆、恥を忍んで。
追憶のキャッチボール !?