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雑談

懐かしき荒くれもの達よ  青春の蹉跌

追慕 芦原会館芦原初代館長 青春の蹉跌

さらに青春時代の思い出話を語って見ましょう。
私の別ブログを参考に紐解きます、

「その男 誰」に出てくる
>お宮さんの境内で青年団のダンスパ-ティが催されていた、

>体格の良い、見るからに横着そうな男がリーダー格
 らしい、傍の小男が、これまた威勢が良かった !

「上杉の交友録2 芦原会館初代館長 芦原英幸」の劇中
>その中の一人が立ち上がって、歩きながらほざいた(恫喝してきた)!
「空手! 空手! 空手がなんぞ! ドス ひとつあれば 一発よ !」
と聞こえよがしに捨て台詞を吐いた!

この二人は、同一人物である、
本名 T・T 通称B 当時の若者達が恐れた、かんしゃく玉の暴れ者。

このBはダンスパ-ティの屈辱を根に持っていたと思われる、大勢の
青年団員のいる中で一方的に私の言い分を聞かされた訳だから !

しかし面と向って文句言えなかった悔しさで「上杉の交友録2」でT兄の
同席に意を強くしたことでK喫茶店での捨て台詞になったのではないか ?

芦原さんと云うより私に向って云った言葉ではなかったか、後になって
そのように思うようになった。

実際喧嘩に為れば私には到底叶わない、だから沸々と不満があったと思うが
彼の悪友や一緒に行動した後輩はすでに私と懇意な仲になっていたのである。

恰幅の良い見上げる男、気は小さい癖に小憎らしい捨てゼリフを吐く男伊達、
本音では純なところもあるのに生き方の下手な男だった。

今思うともっと声をかけてやれば良かった、ゆがんだ屈折感を持っていた
彼の寂しさを思い出している、彼も若くしてこの世からあの世に旅立った。

「J兄(あん)ちゃんを出すぞ!」 T兄(あん)ちゃんより格上、港町最強の
名前を売った兄貴分Jの名前、これがBの何時もの啖呵の口癖だった。

余談だが! そのJ兄ちゃんの家に夜半呼び出された事がある、彼の家に
辿り着くまでの家の角角には何故かひとりづつ用心棒が立っていた、

何を用心しているのか、とにかくJ兄の家に着くと10名ほどのコワモテが
たむろしていた、啖呵を切るのがいる、店にくじ引きのような物を置いて
くれないかと言う、真面目なゲーム屋さんのゲーム機を置いていた事もあり、
了承した。

その中に当然、B もいた、
呼ばれた時、心配する店の者と顧客には、「こんな事で殺されないよ!」
と言って迎えの若者の後について行った、好奇心に溢れた時代 !

怖いもの見たさ! そんな心境だった、J兄の応対はさすが紳士的だった。
後日友達は、よくぞあんな恐いところへひとりで行ったなと呆れたが ?

私が自信を持って自慢できること !

居酒屋稼業だからオシボリなどの取引ではお付き合いをしたが、名の有る
兄貴分達が金の無心によくやって来た、しかし私は一切応じなかった。

穏やかに詫びを入れる私に彼らは男の美学を感じ取ったのか、素直に引き
下がってくれた、文句を言わずに店に敬意を示してくれたので有る。

小さな港町、井の中の蛙で良かった、大都会であれば真っ先に殺される
運命だったかもしれない。

本名 T・T  通称B
死して尚、黄泉の国で肩肘張っているだろうか ? ある面では、要領の悪い
損な役割の哀れな男でもあった、 面影浮かぶ男伊達 !
合掌

このように若いチンピラ達がうろついていた港町、この町へたどり着いた
芦原さんも当初は苦労したと思われる。
彼の置かれた孤独と使命感に胸が塞がれる、ご冥福をお祈りいたします。

懐かしき遥かなる追慕、青春の蹉跌、年月の移り変わりは早い、男達よ !?

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