広告
雑談

短気は損気  命あってのもの

「われっ! いつまでも舐め取ったらしまいには殴るぞ!」
私の顔を立てて必死に我慢していたAがついに切れ掛かった。

この場の諍いの当人のBが「やかましい!」と答えた、
その直後、Aの右フックがBのテンプルに炸裂した。

一瞬の間は、Bに息さえつかせない早業だった、
「舐めるなよ! ボケっ!」 Bは声もなくその場に崩れた。

「だから止めとけと言ったじゃないか!」
Aの連れ添いCが、へたり込んで意識を失ったBを抱え上げた。

意識モウロウから冷めかかったBの目から大粒の涙がこぼれた、
しょげている様は先程の威勢は何処かえ憐れみさえ漂っていた。

これで終わったからよかったものの、止めに入る者のない場所
で喧嘩なら、どんな結末になったか分かったものではない。

武道の稽古と違って何が起こるか分からない実戦はだから怖い!
相手が素手とは限らない、また一対一の喧嘩とも限らない。

人を傷つけ、殺すことも厭わない人間なら大きな痛手を蒙ること
になる、もしサイコバ体質の相手なら、思わぬ方向に事件は進展
する、更にその上命さえも失うこともあるのである。

だから喧嘩は出来るだけ避けるという心構えが必要になる。

私は過去に降りかかる火の粉は払えば良いと語ったことが有る、
それは身近に仲裁のできる行事役が居ての場合と格段に自信の
有る人の場合の話である。

その後ろ盾が有っての実戦なら、降りかかる火の粉は払えば良い
と思っている、傍若無人な野蛮人には、一度痛い目に会わせる
ことも今後、被害者を出さないためには有益だと考える。

自信がないのに初めから仲間を当てにしての喧嘩なら止めとく
べきだ、仲裁役の仲間にトバッチリが来る、その代償は大きいと
考えるべきである。

自己の責任に於いて対処すれば良いと思うが、出来ることなら
そんな場は避けることである。

数多の腕自慢が自己過信のために痛手を負った事件は数多い、
極端に為ると殺人事件に為って世を震撼させる。

やはり本人は勿論だが、周囲も酒の席での荒事を避ける心構えが
肝心である、とかく止め役、行事役を余儀なくされた仲間が被害
を受けることになる。

私には返す 返すも残念・無念な有る殺人事件が脳裏から離れない、
私には関係のない事件だったが、そこに巻き込まれた人間達が過去
係わり合いがあったのである、それも加害者、被害者双方だった。

松山に転居した後その事件は起きた、後から概要を知らされて胸が
痛んだ殺人事件だった。

その原因を作った加害者側の酒癖の悪い男も、早死にしたことを
知らされた。

妻と幼子を残して亡くなった被害者の慟哭が聞こえるようで、よく
知っている真面目人間だっただけに私の胸は塞がれる。

運命は、何故? その場所に! その時間に! 双方を引き合わせた
のか? 少しのずれで惨劇は防げた筈だった、これが運命・宿命なら
被害者が余りに哀れで為らない。

ひとりふたりの暴漢なら叩きのめせるスポ-ツマンだった !
一緒に女が居たことで、彼の驕りと油断が生じたのなら言葉も無い。

この事件を後日詳しく聞くに及んで、運命の皮肉を痛感したもので
ある、災難は誰にも、何処から降りかかるか分からない。

「われっ!・・・」
「やかましい !」
こんなことは若い時だけの話にしてもらいたい。

柔道、剣道、空手道、少林寺拳法、合気道の技を極めた私の知人の
諸先生方は泰然自若、やさしい眼差しの静の人に昇華している。

これぞ、武道家の鑑だと常に感服し、尊敬・崇拝させて貰っている。

※  前記の方言は聞き苦しいと思いますが故郷の言葉をそのまま
  紹介させていただきました、悪しからずご了承下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告