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人生, 思い出

夏の日の縁側

私が高校生の頃、片道1時間半の所要時間で隣町の農業高校へ通った、今考えると物凄く脚力の付く運動量であった。

三軒隣りに80代の仲の良いお爺ちゃんとお婆ちゃんがいた、私の人生にとって見本になる老夫婦だった、おじいさんは穏やかでおばあさんは心の温かい優しい人だった。

その後おばあさんが亡くなって、玄関脇右側の縁側の椅子にもの 寂しげなおじいさんが悲しそうに表を眺めるようになった。

夫婦の姿かたちを認識する基本となる夫婦の典型だった、それから1年経たないうちに、おじいさんは、おばあさんの後を追うように天国に召された。

お爺さんを悼むよりもお婆さんのもとへ逝かれたんだとの安堵の念が湧いたことを覚えている、それほど男の妻に先立たれた哀愁は強いものだった。

幾年月、夫婦の姿を見て来たが妻に先立たれる夫ほど人生の侘しさ切なさを感じるものはない。妻に先立たれる事ほど虚しいものはない。

できる事なら私を含めて男衆は、最愛の妻より先にあの世へ旅立つ事を勧めたい、向こうに落ち着いてから妻を迎えようではありませんか。

その方が又、妻をメトレバサイタケテ、楽しい第二の人生が復活すると私は信じている。

万が一、鬼嫁が復讐を胸に天国へ着いたなら、私の元を訪ねて下さい、同病愛憐れむ、もしかして私が生前振られた女性だったかもしれません。

天国のある縁側で、あなたに代わって詫びをいう私がいるはずです。

女性にとんとモテなかった私ですが、弁解する事は他人よりも上手です。

夏の日の縁側   !?

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