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雑談

哀れなり凍土  帰らざる平和

あの日、無垢な人々は何時も通りの日常を送っていた、
まさか、自分達の運命がそこで終わると思う人は1人もいなかった
筈である。

即死を免れた人々だけは何が起こり、何が自分の身に降りかかったのか
知ることになる、
そして死と隣り合わせの過酷な闘病の日々が始まるのである。

我々は、のちに記録映画等でその悲惨な現状を見せ付けられた、
原爆の威力、原爆の憎さだけが国民の心の底に焼き付けられた、憎い !
被害者の心と体の痛みを共有しょうとするも、実体験のなさでただ唖然
とするしかすぺがなかった。

私達は小学生になって、巡回映画で原爆の子 その他の戦争映画を観る、
その同級生の中に、シベリア抑留になり酷寒の地で望郷の思い耐えがたく
哀れ命を落とした友の父が居た。

戦死者を出した家族にとって戦争の悲劇、原爆の無残さは身を以って
見詰めていたのではないか、避けられる運命ならどんなにしても避けたい
これが人間だと思う。

今、国際社会は中東問題、領土問題等で混迷を極めている、私達の身近に
は、北朝鮮の核問題が緊急の課題で圧し掛かっている、一触即発、まさに
間一髪の瀬戸際に立たされている。

日本のあの時一般国民に戦争を避ける意志も方策さえも考え及ばなかった、
とすると、勝敗の分かった戦争に向う北とアメリカの差とはなんだろうか?

一部の都市の破壊と一国の消滅、そこに住む人々の胸の内を思って見る、
あなた方は座して死を待つのか ?

指導者の方針に従うことは、自分の国の終焉を知ることである、見ることは
叶わない、結果を見る間もなくの死、これが核戦争の帰結、怖さなのである。

日本にはいろんな考えの人間が居て、指導者に罵声を浴びせ、貶めることが
日常的に為されている、それでも大手を振って闊歩する社会、可笑しいと思う
人もいるが、対極に位置する人間達に依ってカモフラ-ジュされて糊塗される。

この北とアメリカのせめぎあいを見て、振り返る思いがある、
日本の幕末動乱期、国のため、生死省みず立ち上がった坂本竜馬を初めとする
底辺に生きた武士達である。

その志を思うと、涙を禁じえない、あの日本に出来た革命が海の向こうの人々に
出来ないのか、このまま行くとアメリカは行動を起こす確率大である。

全国民が消滅すると現実認識できる人間は居ないのだろうか、まさに風前の灯 !
アメリカは国の存亡の前に、敵国の運命に躊躇なく鉄槌を下す国だと思うから。

時間がない。

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