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アイデンティティ ・ 家系

アイデンティティ     家系

私は事あるごとに我が家を称して貧乏な子沢山と形容する、それはそれで的を得ているが、貧乏にくじけず誠を捧げた両親に改めて感謝と尊敬の念を捧げます。

生まれた田舎から終生、外へ出なかった2人は、教養を学ぶ世間というものを知らなかった、ゆえに教育者としては及第点を取りようもなかったが、

人間として父親・母親として充分立派に任務を果たしたと私たちは感謝している。

資産家の次男に生を受けた父だったが、3歳の時いつものように分家している子供のない叔父の家に遊びに来て、そのまま、その家の子供として育てられた。

本来なら人も羨む田舎の金持ち、長兄は農協の偉いさんに登り詰めたが、その野心を海の生業に向けた、他県を股にかけての漁業に活路を見出すのだが、これが大成功した。

そのまま、本家で育った父ならば水飲み百姓の苦労はせずに兄の補佐として九州は鹿児島の地で事業拡大に心血注いだはずである。

人並みな教育も受けず、貧乏な養父母の糧を助ける為義理に生き忠を尽くした犠牲の一生を送った人だったと言えよう。

今振り返ると、無口な人だっただけに不憫でならない、

「助けてあげたかった、力になってあげたかった !」私が終世心から消えない後悔である。

兄弟が多いと、良いのも悪いのもいる、8番目の3男なのに私は長男の役目を請け負わざるを得なかった、親の涙に弱かった所為である。

現在、不遇な人たちに目が向くのは、そんな境遇から生まれた性格に基づいている。

大分県は湯平温泉、鈴屋旅館、貧乏の中でひとつだけ親父が心安らぐ場所と時間だった、なんと切なくも小さな幸せ感であろうか、湯船に浸かる親父の背中を私は追っている。

湯平の石畳を何を思って歩いたであろうか、不憫な人だった。親父の息抜きが僅かな鈴屋旅館での湯治だったのである、

叶わぬ夢になったが、今振り返る願望は、懐に目一杯のお金を

持たせてあげたい !

それができない現実に、金に執着しない私が生まれた     !

どうせ、親父お袋を喜ばせてやれないなら、金はいらない   !

私の極論はそんな父母への後悔から来ているのである。

教育者としては、他の兄弟に助けを請いながら、その後始末に触れない無知、このため私の人生は貧乏を余儀なくされた、兄貴が3人いるのに、Sを助けてやってくれとお袋が言ってくれたことはなかった。

口数の少ない私だったが、心の底の我慢強さ、意地を見抜いた両親の叱咤激励だと思うことにしている、それで自立心、独立心ができたと思えば、立派に寺子屋教育を受けたというものである。

規模は比べようもなく、不遜とのそしりを免れないが、昭和のロマン、松下村塾卒業生と密かに自負している。

父母の泣き笑い、あの昭和が遠くに霞んでしまう九州への想い、

漁業基地、鹿児島県志布志市、湯治の町、湯平温泉、父母の残像は九州の地にこそあるのかも知れない。

父よ !   母よ   !

国家としての精神、心の拠り所、アイデンティティが途絶えることはない、家系、どんなに貧乏しても世間に恥じることはない。

杉の子  上杉嘉一、Sの愛国心に根ざす向上心が無くなることはない。

アイデンティティ、家系、

皇室を尊び、日本国を愛する、信念は揺るがない、日本よ !

最後の拠り所、自衛隊を私は尊敬の眼差しで見上げている             !?

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