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世界

個人の幸せ 多数の不幸

個人の幸せ   多数の不幸

これを端的に表しているのが国家の指導者と国民との関係。

もし、これを逆にしたらどうなるか、指導者の不幸と国民の幸せ。

その指導者が神様でない限り自ら不幸を求めるはずがない、ましてや自分が不幸なのに国民へ幸せを考えるはずもない。

ここに人間界、人類の不幸がある、これの出来るのは人間ではなく神様の領域である。

私は自分の未来、明日という日を予測している、家族には申し訳ないが人間の限界を知るだけに当に覚悟はしている。

世界中を見渡しても、どんなに頑張っても、そこまでなのだと宇宙船地球号の世界等知れたものではないか、享楽においても限りがある、そう幸せの限界がね。

そして決定的なことは、命の限界  ! これだけは自分の意思や家族の希望で変えられない、神様の思し召しだけが命を永らえる。

だったら無茶振りしたって始まらない、運を天に任せなくっちゃ!そうゆうところで私は運命論者、たかだか人間が自分の不幸の前に他人に幸せなどくれるものか  !

そう考えると他人への妬み、嫉みなど起きるわけがない、これが私の想いと信念に基づく覚悟。

だから人が思うほど、私という男は世俗的なヤキモチなど持ち合わせていない、負けたら身の不徳、勝っても驕らない  !

なぜそんなお人好しができるのか   ?経験の知恵!人様の現実描写を見て来たからである、彼らの言動の写し絵が私の脳にインプットされている。

憎いとか羨ましいとかの前に、唯、気の毒、可哀想にと思って来た、その想いだけが彼らへの追憶に蘇る、殆ど羨むよりも不幸を悼む  !

安眠を貪る人々の為に、警鐘は鳴らす私だが、自らは常に覚悟は出来ている、高望みをしない、身の丈に合わせた生き方を心がける、だから自然体。

時の権力者たちと違って私は人を妬まない、比べることもしない、あなたはあなた、私は私、個人の幸せの前に多数への幸せを祈る。

現在の世界情勢をどう捉えるか、それを言うには忍びない、ロシアの大統領がフランス大統領との会談で核使用に触れた、この言葉は重い。

個人の幸せ   多数の不幸 世界よ   !?

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