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思い出

よみがえる後輩との想いで Mよ。

予期せぬ電話だった、
私がこよなく愛した後輩の妻からだった、
私より小中、高校と同じ学校の1級下で特に高校生の頃は
1時間半の自転車通学を共にした仲である。

私は、彼のことを、M~よ M~よ と可愛がった。

彼は資産家の一番末っ子、父を早く亡くして母親に溺愛されて
いたが、性格的には穏やかで人の意見に耳を傾ける温厚な男だった。

彼は高校を卒業すると東京へ向かい、その後ある放送局へ就職した。
長い空白の期間があったので大学進学への有無は聞いたことがない。

彼は、そこでカントリ-ウェスタンにはまっていく、
当時のそうそうたるカントリウェスタン歌手との交流が始まった、
結婚は郷里の後輩女性との養子縁組で婿入りすることに為る。

私との再会と再びの付き合いが深まっていった。

穏やかな男がカントリ-ウェスタンや楽器の話になると俄然 熱を
帯びたものである、それらの歌手との交流を遠くを見つめるように
語ってくれた。

彼にはふたりの子供が授かった、娘と息子、出来た女房は男を立てて
内助の功を尽くしてくれた。
彼の妻は、私の同級生の姪でもあった。

息子を小さな頃から空手道場に通わせたが、その道場主の子息は後年
(現在)日本空手協会の指導員になって世界的な選手に成長している、

彼ら息子同士は、道場主の人柄も有って兄弟同然に成長して行った、
後輩Mの家で息子のビデオを拝見したが、予想以上の成長で迫力の有る
演舞を見せてくれた、伝統流派のメリハリのある型と組み手は、見事の
一言だった。

相好を崩して私に説明する後輩の姿が忘れられない。

人生は無常である・・・そんな彼が病に倒れた、
私が知るのは、薬石功なく彼が亡くなって1年近く経ってからだった。

自身の生活に追われ彼への思いを抱きながら会う機会がなかったのである、
それを知った時、私は唖然として言葉が出なかった。

お線香を手向けに彼の自宅へ伺った・・・
妻の言葉に私は涙が溢れて言葉が詰まった、

「Mは、私に会いたかったのではないだろうか ?」
私の搾り出すような言葉を待って、彼の妻は言葉を引き継いだ、

「Sさんに逢いたかったと思いますよ。」 涙が更に流れた。

後輩Mの自慢の息子は、
高校卒業後市役所職員として空手を続けながらまじめに働いていたが
朝の出勤途中の交通事故で父親の彼より先に亡くなっていた。

息子が寂しがっているそんな想いで追いかけたような気がしてならない。
日ごろ、ひとり 居間で、息子の空手のビデオを眺めていたそうである。

「Sさん母が亡くなりました、それで家屋敷のことで相談したいのですが」
訪問を約束した、
後輩Mに逢える日が来た、お線香を手向けたいと思う。

後輩Mとの想い出がよみがえる。・・・Mよ・・・男というものは切ない。

Mよ・・・Mよ、涙が止まらない。

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