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思い出

Aよ! あした 帰るからね

また悲しい知らせが届いた、
従兄弟の妻が亡くなったと言う、
大病を患い胃の大部分を手術していた。

従兄弟は、小中高校通じての同学年、
12年間、それも全て同じ教室で学んだ。

物心ついた時には、いつもそばに居た、
母親同士が姉妹だったのである。

彼が小学1年の時、父親が亡くなった、
姉2人、妹1人の中にいた、

私の母の妹である叔母は随分苦労して
子供達4人を育て上げた。

母子家庭の淋しさを見せないように、
気の強い母親像を守り通した人だった。

先般の同級会で、
その従兄弟と久し振りに一緒になった、
子供時代と同じ呼び名で呼び合う2人である。

「わしの臨終の間際にはAのハーモニカで
送ってくれよ」

私の申し出に従兄弟は目を見開いて聞いていた。

父親が亡くなって、
その淋しさを紛らすように彼はハーモニカを
吹いた、

当時の唱歌はほとんど奏でた、
先生に指名されて同級生の前で誇らしげに
吹いた。

羨ましい気持ちよりも、
同級生の誰よりも上手な従兄弟が嬉しかった。

その従兄弟の妻が薬石効なく死出の旅に出た、
従兄弟の落胆が目に浮かぶ。

結婚当初は亭主関白、子供が生まれると途端に
妻を頼る旦那に変身した、
私は、それを微笑ましく眺めていた。

同級生が知らせてくれた、
葬儀告別式は故郷の農協の式場で執り行われる、
従兄弟の後姿を眺めてやりたい。

我が青春を全てお見通しの盟友である、
人に云えない秘密の共有者でもある。

秘め事は、抱腹絶倒の場面展開が多々有る ?
しかし、厳粛な現実に考慮して口を閉ざそう。

孤独だった男に寄り添い苦労を共にしてくれた
糟糠の妻に感謝して、ご冥福を祈りたい。

「Aよ、Y あした 帰るからね !?」

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