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人生

因果応報 軋み

畑仕事をした人は経験で分かると思うが、その時は夢中で鍬を振るうから気がつかないが終わってから少し時間が経つ程に身体の節々が痛くなって来る。

慣れている人は回復も早くなんの気にもならないが、たまにする人は数日は節々の痛みが持続する、私などはその口で、年寄りは尚更、たいへんだ   !

身体に限らず人の生き方も同じことが言える   ?

この数日、私が注視する事柄がまさにこれである、無理をすれば軋みが出る、軽いものか重いか命取り。

怒りとか悲しみとかを超越して冷静に眺める自分、人間観察究極モデルが目の前に蠢いているのである。

緊迫した電話があり、中傷めいた会話がある、そこには、弱い人間の限界がある、それは何か   ?小さな世界に呻吟する小人達の世界、哀れだな   !

何億~何十億、何百億の世界ならともかく、たかだか数千万単位の組織だぜ   ?

男が命をかける価値などあると思うか、それを思うと私の熱意は萎えてくる、ただ時代に続く若者達へは責任感というものを会得して将来に活かせて貰いたい。

人生経験の乏しい者が中核をなすとその組織は内向きになる、物事の考え方、判断力が狭い空間に留まる、

打開策の幅が狭い、そんなことしか考えられないのか内向き人間の限界である。

そんなところで、彼らに見えなかった事象が姿を現し始めた、少し早すぎるきらいはあるが、果たして解決できるのか傍観してみたいと思う。

因果応報、

この例えを実証する まさにリトマス試験紙、 さて   ?

自分たちが蒔いた種ではないか、汗水流しても刈り取らなければならない、難儀でもやらなきゃしょうがない ?

緊迫の日がそこに来た、どんな知恵が出るか見せてくれ     !?

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