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思い出

故郷は遠きにありて

社会の底辺で愚痴もこぼさず頑張った人である、

その無口な男を支えて大勢の子供を育て上げた女、

それが、私が思慕の念失わない両親である。

潮の香りが玄関越しに入って来る、目の前の埋め立て広場の土砂を削り取った上に鎮守の森、住吉神社は在った。

子供達が想い出を育んで無心に遊びまわった故郷、私の生まれた村は250軒程のさぴれた村だった。

台風に翻弄される愛しき村、目を瞑ると様々な風景が瞼に滲む。

芋と麦、その後のミカンの隆盛は人々にたった一つの希望を抱かせた。

真穴みかん、先人達の努力の末に天皇賞に輝いた!今は、4月2日    3日の真穴の座敷雛  !故郷は昔も今も優しく微笑んでいる。

私の背中に流れる熱い血潮は、そんな故郷と道徳を重んじた両親から受け継いだ。

皇室を尊び日本をこよなく愛する精神は親父の背骨から受け継いだ。

その一例を述べて見たい、

戦後の日本は、それまでの日本固有の伝統を否定する事から始まった、アメリカ神話の始まりである。

その時代の英雄は、米国進駐軍司令官   ダグラス・マッカーサー元帥、子供達は全員元帥に憧れた。

テレビはまだ出現してなく木製のラジオが一軒に1つ有るのと、新聞が辛うじて配達されていた。

現代色分けされている紙面の政治的傾向は、伺う由もなかったが、今振り返ると日本を貶める反日新聞は我が家では御法度だったと言う事で有る。

物静かな親父だったが新聞使命の良否は見極めていた、その信念に頭が下がるので有る、子供達の情操教育に如何に寄与したか今にして分かる。

生まれた国を誇れない、好きになれない人間に他国を理解出来るはずもない、究極の利己主義、排他主義として社会へ出る事になる。

現在の身勝手な特定野党の姿にそれらは重なる  !

私の故郷賛歌は、両親賛歌に行き着く。

親を崇められる男にしてくれた両親に心から感謝する !

ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの   !?


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