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思い出

コバルトブル-色鮮やか

「よう来てくれたの・・・」

同級生とのお茶会を先に済ませて介護施設に入所している姉を見舞った、
その町では比較的大きな施設で地元企業が経営しているA荘に入所、その隣にB荘が
並んで建っている。

A荘4階の6人部屋、姉は西側入り口手前のベッドで上体を少し起こして休んでいた、
無表情で目を開けていた、声をかけると顔をこちらに向けた。

反応が返ってきた、そして上記の言葉が発せられたのである。
「わしが誰か分かる ?」 いつも使う方言で問いかけた、
「Sよ!」  姉はハッキリと私の名前を呼んだ。

先日、見舞に帰郷した折には認識できなかった姉が今日は会いたがっていた私を認識
してくれた、(理解しているのだ !)  私は一瞬胸に熱いものがこみ上げてきた。

昼頃、帰郷する車中から眺めるI灘は見事なコバルトブル-に輝いていた、やや薄緑の
空とのコントラストが鮮やかだった。

(良いことがありそうだな ?) もしかして姉は私を理解してくれるのではないか ?
無理だと自分に言い聞かせながら、万分の一の奇跡を願っていた。

その奇跡を願うには訳があった、過去私には不思議な出来事の数々が有ったのである。

余命僅か家族があきらめていた意識のない従兄が、病院に到着した私の言葉に反応した、
妻や子が驚きの言葉を発した。

危篤状態の義兄に私の到着を兄嫁が知らせた、それまで反応のなかった義兄が「Sさんに
相談したら良い」と言葉に出して答えたのである、兄嫁が驚いたことは言うまでもない。

今年の一月、我が家の犬のMが亡くなる日のこと、Mは、私の言葉を野解して感情を
あらわにした。

17才2ケ月、この2~3年は、痴呆が進み無表情で緑内障、鼻も耳も遠く、家族の
ことが当然分からなくなっていた、それが痴呆の症状が消えて私の言葉に反応した。

一例、長男の溺愛を別の犬に取られて淋しい思いをしていたMに、帰って来た長男が
頭を撫でてやった、「Mちゃん 良かったね、T君 帰ってきたね !」

Mは、横になって動けなくなった身体を、そのままの状態で激しく頭を振って か細い
声で泣いた、
 
「ワン! ワン! 」 私には アン! アン! と 人間の赤ん坊のように聞こえた。

よほど嬉しかったのだろう、完全に痴呆から正常な状態に戻っていることを確信した。
その4~5時間後、となりで転寝をしていた家内に別れの泣き声を発して天に召された。

偶然なのか、奇跡なのか、分からないが、私にはこのようなことが起きる。

話しかける私に姉は答えを返してくれた、会話が成り立ったのである、
「よかった! 逢えてよかった!」 姉の口から思いもよらぬ感謝の言葉が洩れた。

その2日前の夜半、9.5゜の高熱が出た人である。

長居したら疲れると思い・・・
「また来るからね!」 と声をかけた、

「Sちゃんによろしくと言ってよ・・・」 Sちゃんとは家内の名前、
姉は感情のある言葉を返してくれた。

介護施設A荘の従業員は、それは優しかった、丁重に礼を述べて施設を後にした。

長らく見舞ってなかった姉である、先日帰郷の折は 「判らん・・・」と答えた
人だった、それがこの奇跡を生んだ、弟を認識してくれたのである。

兄弟姉妹の犠牲になって、家族のために尽くしてくれた長女である、
残された日々が穏やかで健やかなものであってほしい、88歳の年齢を重ねている。

A荘北側の蜜柑山に照っていた陽射しが弱くなって、港町に夜の帳が迫っていた。

人の命は  人の人生は  人との出会いは  そして その縁は  なにひとつ
無駄はない  感動と感謝を胸に  車は一路  I灘に進路を取った。

コバルトブル-色鮮やか。

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