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思い出, 政治

親父の背中  桜

「お前は昔のことをよく覚えているなあー?」と驚かれるが、甥の1人には勝てない   !あの頃の情景と会話の内容までよく記憶しているのには驚いた。

「そんなこと言ったかな  ? 」若さの至りがポンポン出る   ?人間付き合い、多くの人と接触する私は、記憶の入れ物が入り切れず次々と溢れ出すので順送りに忘れるのだろうと推測する。

ものには形があり入れ物にも大小の形がある、人間の記憶だって容量と言われる器がある、そのように考えている。

人付き合いの狭い人は思い出も少ないはずである、だから記憶に留めることができる、反対に多い人は、思い出が詰まって溢れてくる、だから順々に忘れていくのである。

私はそのように解釈している、試しに友人知人に聞いてみたら実証されると思います、記憶の入れ物、引き出し、そう考えると覚えているうちに何か書き残しておくと人生が豊かになる。

私のこのブログは親類縁者と縁あって出逢った人々への遺言書だと思いながらしたためている、亡くなった後に、特に子供達が父親に逢いたくなったら、このブログを開く又はダウンロードしておく。

反発していた親子が現世と来世で結ばれ続ける、誤解も溶けるだろう!私たちの世代がそうであったように、親父と息子の口喧嘩のそばで止めながらもウロウロオドオドしていた母親の姿、あれ程反発していた甥が亡くなった兄貴(甥の父) を評価して良い人だったと電話の向こうで涙ぐんでいた。

親父の背中、親父の男気、親父の甲斐性、甥は改めて自分の父親を評価する年代になったのである、そう言う彼も今ではもうおじいちゃん   !若い頃の好き勝手が父親を想う大人の男に育て上げた。

遠い歴史の町、長州の地で故郷を親父を偲んでいる。

人間って弱い者、特に男はしがらみに弱い  !

ところが人を指導しなくてはいけない政治家の醜態はどういうことか?コロナウイルスという難敵に向かって一致団結しなくてはならない時に、「何だ  !」その国会運営は、いまだに桜を巡って大見得を切っている。

私はそれを見て、この党の政治家達は政権奪取の野望はないと見ている、結局政権を取れないと分かったら何を考えるか、政権を担う側への嫌がらせ!遠慮せず言えば何でも反対で困らせる、発想が幼稚すぎて大人の所作に非ず、残念だがそのように思う。

桜が🌸桜としての美しさを履き違えた人々で汚される   !私たちの清い別れの歌が、悲しみにくれているようで見ていられない  !

国民の安倍政権への厳しい目が野党の桜合唱で緩和される、この顔見世劇場は野党の失策で又続演の皮肉になりそうである、ただ長年主役を張った主人公は賞味期限と飽きと失政で幕を閉じると言うのが大方の観客の予想である。

主人公の正室が舞台を台無しにしたことは否めない、代替えの脚本はなかったものか          !?

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