そのメ-ルを読んでいると十数年前のある病院でのひとコマを
思い出していた。
四国八十八箇所霊場第五十一番札所石手寺、
その石手寺を背後に控えたU岡胃腸クリニック。
愛媛県では知る人ぞ知る白亜の病院、やせ細ろえて血の気の失った
私は後輩の勧めでこの病院の門を叩いた。
麻酔が効いて寝ている間に胃(大腸)カメラ撮影を済ませる病院として
有名だった。
結果は、院長室で病理検査、カラ写真を目の前に説明を受けた、
「悪性腫瘍です、間違いありません」院長先生の言葉はゆっくりと
柔和な顔で優しく吐き出された、そこに躊躇はなかった。
私は頭に血が上った、普段聞かされる宣告の瞬間は、みなさん一様に
血の気が下がったというものだったが、私は逆だった。
血の気が多い性格ゆえにか、眼一杯 頭に血がのぼった !
その後、四国がんセンタ-へ入院となった、満61才4ケ月だった。
私が心がけたことは、死への覚悟を固めることだった、様々な未練を
断ち切る、まだ、この歳ではないか ! 何故に、俺なんだ ?
だが親兄弟の亡くなった年齢に私は到達していた死をまぬがれることは
出来ない、残念だがこの結論だった、じゃあ! どうすりゃ良いんだ ?
私は覚悟を固めて冷静さを取り戻した精神状態で身の振り方を考えて
いた、出した結論は、捨て身! 生への執着を吹っ切ること、肉親への
情を断ち切ること、そこから導き出されたものは、明るい人間に帰る事。
医師が、看護師が驚く豪放磊落な私の出現だった、後日、彼らは驚嘆の
声をあげた、Sさん、十分です、言う事はありません。
生への扉が開かれた、
だが病室での葛藤、相部屋の親しくなった患者さんが次々亡くなる現実、
生と死は、がんセンタ-では当たり前の日常だったのである。
私の生還は
運命を託せる担当主治医との出会い、自分が明るくなることで周囲の同調
を得て幸運の女神が舞い降りたこと、自己改革は音楽の力が大きかった。
特に、それまで余り気に留めなかったドラムが物凄い精神作用で私の細胞
に活性化作用を与えてくれた、私独自の解釈でミクロの奇跡。
友から届いたメ-ルは、その辛さの最中に居る肉親に関するものだった、
私の精一杯の応援歌を送る所以である、奇跡をあなた方の身の上に、祈る。
杉の子さん、ご無沙汰しています。
いつもお忙しいのにパワフルなブログに驚かされます。
今回のブログは私にとってタイムリーな内容です。
連休明け、出社したら引き出しに先日の健康診断の結果から、嬉しくない招待状が入っていました。
胃の再検査ということで会社指定の病院での胃カメラ検査です。
コスモスさんはご存知ですが、私は30年ほど前杉の子さんと同じように手術を受け、
幸運にもこうして再発せずにきました。
今回は青天の霹靂というか予想外の通知ですが、言われてみれば最近疲れが取れないし・・・あれこれ・・
と段々心配になっています。
検査はまだ2週間もあり、心配は募るだろう~思っています。
そんな時、杉の子さんのパワフルなブログを読み、元気付けられました。
杉の子さんのように達観は出来ませんが、前向きに、無駄な心配はしないようにと思っています。
サマンサさん、
おはようございます、よく来ていただきましたね、私のブログで少しでも元気になっていただければ
これ以上の喜びは有りません。
私が皆様に常々言っている言葉
「幸せな時には私を思い出さなくてもいいけど、辛い時に私を思い出して下さい」
私の友達をはじめ周囲にはこの病で苦しむ人は多く居ます、しかし、私が手術した平成16年に比べて
医療の進歩は格段に進んできました、現に結構進んだステ-ジであっても元気に回復して社会生活を
営んでいる人が多くなりました、たとえ検査の結果が思わしくなくても心配しないで医療機関に
任せれば良いと思います。
かならず、よくなります。「こころもからだも 明るくね! 大丈夫、サッカ-の神様が守って下さいます」
ブログにも書きましたが、手術をしたがんセンタ-は10日ほどで退院しましたが、抗がん剤治療のため
懇意な個人病院の院長先生に頼んで、抗がん剤治療の期間だけ入院させてもらいました。
その2階の個室で夜毎、ラジカセ、カセットテ-プを聴いておりました、特に私にとって忘れられないのが
長渕 剛の♪しゃぼん玉でした、2番の歌詞とドラムの音が心に響き、ややもすればセンチになる気持ちを
奪い起たせてくれました、動画紹介しますので聴いて下さい、男と女の違いですからどうかと思いますが
私にとっては魂に響いた歌でした、私はミクロの奇跡だったと思っています。
長渕剛 しゃぼん玉
・・・帰りたいけど帰れない もどりたいけどもどれない
そう考えたら俺も 涙が出てきたよ
くじけないで なげかないで うらまないで とばそうよ
あの時笑って作った しゃぼん玉のように・・・
しゃぼん玉 長渕剛TSUYOSHI NAGABUCHI ALL TIME BEST Live!
淋しくなったら、おいでください、
・・・妹よ !
杉の子さん、心強いコメント、そして長渕剛さんの動画ありがとうございます。、
確かに医療は進歩していますね。私は1月に腰痛でレントゲンを撮った時、昔の金属で縫合した手術の後がくっきり写り、先生からMRIは危険で撮れない、と言われたのがショックでした。手術一つとっても変わっているんですものね。
普通の人は「幸せな時には私を思い出さなくてもいいけど、辛い時に私を思い出して下さい」なんて、とても言えたセリフではありません。
「こころもからだも 明るくね! 大丈夫、サッカ-の神様が守って下さいます」妹よ!というお言葉に涙がでました。
検査の事は職場の人には話せても、子供達には要らぬ心配をかけたくないので話せません。
でもこうして、コスモスさんを通じて知り合いになった方から優しい励ましのお言葉を頂き感謝しています。
来週はGWに来れなかった長男家族が来ますし、検査まで一喜一憂しないで楽しくと過ごしたいと思います。
杉の子さん。
貴方の心遣いのブログを読み、コメント欄へ行きますと、サマンサさんのコメントに出会いました。
「幸せな時には私を思い出さなくてもいいけど、辛い時に私を思い出して下さい」・・・・、サマンサさん、私も杉の子さんの言葉に励まされている今です。「病は気から」という言葉には、真実があります。本人の気力がシッカリあれば、病が弱くなるのです。
サッカーの先生である貴方は、あんなに明るく前向きなのですから、大丈夫ですよ。
私は大痔主として手術の経験があるだけでなく、大腸ガンの経験者でもあります。杉の子さんのように陽気には振舞えませんでしたが、結構明るく過ごしました。お医者さんを信じ、自分の明るさを信じ、ついでに私たち (杉の子さん、コスモスさん)の応援も信じ、乗り切ってください。
杉の子さん、23日から10日間九州へ帰ります。こうして何度か、往復することになると思います。そうなりますとブログもお休みとなるため、今の間、ガムシャラにパソコンに向かっております。どうか、失礼の段を、ご容赦ください。
サマンサさん、
onecat01さん、
おはようございます、今朝は少し寒さが戻って肌着を重ねたところです。
onecat01さん、サマンサさんは大丈夫ですよ、
>子供達には要らぬ心配を・・・この気丈さがある限り何事にも耐えられます、母は強し !
もう一度、私の経験談ですが・・・
「先生、家内や家族には言わないでください(癌の告知)」
私の要望に、
「Sさん、奥さんから主人には告げないでくださいと言われています」
お互いを心配しての気配りでしたが、この結果、全てオ-プンにしてしまいました、
当初は、家族も悲しんだと思いますが、その後の心構えは違ったものになり毅然と出来たのです。
親が思うより子供達は成長していました、責任感の更なる芽生え、私はある面で安堵致しました。
今までの話は、悪いことを想定しての思い出話です、これからのサマンサさんは気持を切り替えて
医学の進歩を信頼して、明るい明日を思い描くことです、大丈夫! 希望の未来は更に続きます。
たとえ検査の結果がどうであれ、一喜一憂せず、淡々と人生に臨む、運命は使命を与えてくれる。
何のこれしき、まだまだしてもらうことがあるぞよ サマンサ ! コスモスの杖にならなャア !?
onecat01さん、九州行きご苦労様です、ブログのことは心配せず、お母さんへの親孝行を悔いなく
尽くしてあげてください。
サマンサさん、子供さんたちは、親が思うより成長していますよ、タイミングを見てお話したら
どうでしょう、覚悟の涙は (まだまだ数十年先の話ですが) 早い方が良いものです。
今日の午後は、全日空ホテルで私の会の総会です、懇親会は欠席しますが、大街道で美味いコ-ヒ-
を飲む約束です。
杉の子さん。
「幸せな時には私を思い出さなくてもいいけど、辛い時に私を思い出して下さい」
しばらくの間、貴方のこの言葉を心に刻み、頑張ります。美味しいコーヒーを、楽しんでください。
杉の子さん、onecat01さん、励ましのお言葉 本当にありがとうございます。
onecat01さんも大腸がんの経験があるんですね。皆さん、病気に打ち勝って元気で過ごしておられる姿は
大変私に希望を与えて下さいます。
子供達には検査することはまだ話していませんが、結果の如何にせよ、検査後に話そうと思っています。
私の生半可なサッカー知識と情熱で時々書いているブログですが、「サッカーの先生」と持ち上げて頂くので
調子に乗って、明るく前向きに過ごしたいと思います。
コスモスさんからもメールで励まして頂いています。
onecat01さんも何かとお忙しいご様子ですが、お体に気を付けてお過ごしください。
サマンサさん、
夜も遅くなりました、ご返事遅くなりましたがコスモスさんとお話していました、
サマンサさん、あなたは偉い、寂しさの中に明るさを失わないあなたに拍手です。
きっと良いことがありますからね、あなたが頑張る後姿を子供さん達は見ています。
サマンサさん、私は自分のブログで時折亡き母の面影を追うことがあります、
親との縁の薄かった母は(早く死別)兄と幼い妹が二人居ました、母代わりで頑張ったのです、
家のため18才で父と結婚、そして10人の子供の母親になりました。
貧乏と様々な苦労があって、私の記憶の中の母は、山道を泣いて歩く後姿が多かったです、
私の誘惑に負けない強い意志と弱者に向ける男気はそんな経験から作られたのです。
私のブログに出てくる「母を恋うる詩」は、母への想い、誠を歩む更なる誓いなのです。
苦労した母でしたが、こんな歳になっても母を想い、母を懐かしむ息子が居る、あの世で喜んで
居ると思います、あなたの子供でありがとう、産んでくれてありがとう、私の母への思いです。
サマンサさん、子供は母親の泣き顔を忘れません、うれし涙をプレゼントしたい、そう願う私は
もう叶いませんが、あなたにはその後姿を見詰めてくれる子供さん達が居る、なによりの宝です。
頑張るのですよ、サマンサさん、あなたの子供さん達と一緒にあなたを応援しています。
杉の子さん、こんにちは
お忙しいのにコメントの返信ありがとうございます。
杉の子さんのお母さんは10人もの子供さんを育てられたのですね。
今のように経済状態もよくない中、昔の母親は強かった、立派だったと思います。
私にもお陰様で4人の子供がいます。子は鎹は死語になりつつありますが、子供は宝ですね。
頑張ります!