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人生

故郷は 薄曇り

薄曇り

物心ついた時は、麦やジャガイモなどの野菜、その後はみかん等の柑橘類、収入の乏しい村人は疲れた身体を鞭打って手漕ぎの舟で沖を目指した。

いかに過酷な日々を送っていたか当時の大人たちを思うと胸痛む。

その中に子沢山で貧乏に向き合った私の親父がいた、後年弱い3歳の時二反百姓の叔父の家に遊びに来て、そのままもらわれて親父の運命は決まった。

実父や長男の伯父が才覚と運に恵まれて財を成した生涯を思うと胸の底から父が愛しくなったものである、日頃から寡黙な人だっただけに助けてやれなかった己の不徳を私は責め続けた。

特にイジメに反発して武道を求めた後年になるほどに、その想いは強くなった、この歳になっても親父への懺悔と後悔は消えることはない。

助けてあげたかった、その思いの反面無気力な他力本願の兄弟たちが尚更許せないのである、「お前たちは何をしていたんだ、親父、お袋を助けてやろうとは思わなかったのか?」 

こうして私は男の兄弟たちとの縁を振り払うよう努めることになる。

薄曇り

西陽が目の前の大島へ傾いて行く、真上にあった太陽が雲に覆われて行く、温かい微風が頬をよぎる、得も言えぬ「薄曇り」 に我を忘れる、

この風景と程よい暖かさが私は1番好きである。

故郷は昔も今も変わらない、のどかな春日和、子供の頃のあの日あの時が郷愁を伴って脳裏をよぎる、苦労の多かった親父とお袋、もう一度逢いたい、どんな言葉が返ってくるだろうか ?

先日実現した3・3・かぶしま会、同級生たちの言葉が甦る、「またやろうぜ ! よかったな !」

薄曇り、学校へ向かう子供たち、故郷の小学校ではないが、山辺の小学校に私の自慢の友達Mちゃんの娘さん(Tちゃん)が「校長先生として就任した。」

彼女をよく知るだけに私の胸は感無量、「Tちゃんおめでとう、よく頑張ったね!」

ありし日のMちゃんの笑顔がはにかんでいた。

故郷は  薄曇り   !?

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