「今回は月曜日に我が家へ帰るけれどお盆は10日程帰る
予定です」
「Sさん、W (後輩) も呼んでいっぱいやりましょう !」
和歌山から帰郷中の小政の浜ちゃんはそう言って笑った。
30分なんなんとする長電話は、イソロウ中の思い出から
関西に渡ってプロボクシングの世界で名を残す大政の話題
にまで及んだ。
大政の興したジムは世界ランカ-の息子が継いで関西の名門に育て上げている。
名伯楽! その指導は激烈を極め、息子にさえも手心を加え
ない鬼の会長に、仏の私が異論を挟んだこともある、
それでも、頑なに指導方針を変えなかったツワモノである!
あの、芦原会館初代と高名な武道家を挟んでの交友を知る人
は稀である、表の話題に登らない隠れた逸話が面白い。
それにしても我々凡人と違ってさすがプロだと感心する事は
暴漢や理不尽な相手に対する彼らの対応、その仕方である、
そこまでやらなくても良いのにと思う程、彼らは徹底する。
冷徹な勝負師、その道に命を賭ける、激しさ、相手がぐうの
根も出ない程叩きのめす! ここまでやると相手が可哀想に
なる、だから言わないこっちゃ ?
だがよく考えてみると、穏便に帰すと「誰それは、大した事
なかったよ! 」尾びれを引いて自慢される危険がある、
それはプロの彼らにとって店仕舞いにさせられる事に等しい。
芦原館長が八幡浜に来た22~23才の頃、アパートを訪ねた私に手製の手裏剣を手に取っていみじくも語った !
「負ける事はないが、もし負けたら看板を取られる、その時は・・・・!」 と覚悟を語ったものである。
私は、今の時代にと思ったが、彼の立場に立って、その後の
芦原会館の歴史を見ると、その覚悟が必要だった事が分かる。天才は天才のみが知る、私など死んでも彼らの生き様は分からない。
私の元で青春の一ページ、イソロウした大政小政は、
関西プロボクシング界の名伯楽にして交友の広さでは驚嘆する程の人脈を作って泰然としている、大政。
大企業のスーさん、浜ちゃんを彷彿させる輝ける歴史を作った小政。
彼らは芦原会館に負けず劣らず港町八幡浜に生まれた男達である。
その小政と今年の盆は、やわたはま花火大会の下で旨い酒を飲む、
次は、大御所大政が帰って来る、二代目が磐石な土台を築いている。
男達の挽歌 ! 望郷港町 に 大政小政の声がする !?