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人生

ひとかけら

ひとかけら(一欠片)

ひとかけらの人情と称するのか又は去りゆく身の切なさよと説くのか、様々な煩悩を身に纏い昨夜もまた悶々として眠れなかった。

今の自分にとっては贅沢な悩み、世間一般の人々の苦労を思えば甘受せねばなるまい。

夢の中の出来事は「大ごと、大げさ」ところが目が覚めると「な~んだ?」である。

孤独に慣れ、それゆえに人の情けが人一倍ありがたい!

また、人の勝手気ままが気にかかる、「大丈夫かい? いつかは我が身に帰る事になるよ ?」

人ごとながら彼らの小心に思いが向く「人の事などたいがいで良いよ!」そう思えば腹の立つ事はない。

雨上がりの散歩道、ではないが小雨降る河川敷沿いに悩みや孤独を抱えた市井の人たちが散々午後涼を取っていた。

私が少し前、この場所近辺でジョギングをしていたら、不規則な前屈みで倒れそうに小走りになってる姿を見た人が、カブで近付いてきて「大丈夫ですか ?」と声を掛けてくれた。

こんなに優しい人も居るのですよ、だからこの近辺はジョギング、散歩する人が増えたのです、家族にとっても何かあっても安心なのです。

子どもの頃よく「あいつはひとかけらの情もない!」という大人の声を聞いた事がある、人間関係の複雑さをそんな会話で知らされたものだが。

こうして大人になり、助け助けられて成長して来た、人生を無駄にしない様、 姿勢を正したいものである。

「大丈夫ですか?」困った人を見たら声を掛けてあげてください、しかし、困ったことに今の世相は善意が仇になることの多い社会、難しいですね、触らぬ神に祟りなしという事もありますからね。

ひと昔前では、なかった凶悪事件、それも肉親同士の悲劇が多発する現代、外国人の問題も含めて日本は安全面で危険水域に向かっている。

嫌なことの多い日本、各地でも選挙たけなわ、言葉だけの選挙用語にならない様、立候補各氏は心していただきたい。

良いことより嫌なことの多い社会、暗い話はこの辺りで終わりにします。

ヤンキースvsドジャースの熱戦をYou Tubeで見ることにします。

ひとかけら   !?

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