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雑談

辛い局面に  心しずめて

「昨日、開院したばかりですのよ!」

知人の見舞いの為日赤病院へ向かう時、昨年の同窓会で
同じテーブル同席で話が弾んだ一級後輩の自宅へ電話
したところ息子さんの新規開院を知らされたのである。

夫婦揃って同じテーブル、息子が日赤の医師をしています
と聞いていたので知人の為に紹介願おうと思ったのである。

日赤を退職して夫婦でお医者さん、我々年寄りに関わる
診療科目なので早速友人知人に宣伝しますとお伝えした。

お母さん、大喜びだった、

私の人生は、不思議な出会いが沢山あって、この後輩も
お寺の次男、跡を継いだ住職の兄さんは私の友達とよく
店に来てくれたものである。

人間の最初と最後に関わる人たち、医師と住職、私は普通の
人達よりも多くの交友関係に恵まれて、人間関係の縦横糸を
紡いでいる。

後輩の袖擦り合う人々に私の友人知人が絡まって回っている、
そして私の愚息に関係して来るのである、
人間って何と不思議な運命なのだろう、 政治家も誕生した。

「人の生き死にを見届ける」 この高尚な生業の人たち、
この人たちにも私たちと同じ喜怒哀楽が織り成されている。

臨済宗妙心寺派、大円寺、私を我が親族を見守り続けて貰って
いる菩提寺である。

息子が計画中の家の土地は同じ宗派のお寺さんから譲り受けて、
私の向かう新居 (墓) も、このお寺さんの墓地に決めようと思う。

貧乏して家族に苦労させて、底辺で生きる事を余儀無くさせた!
果たして私の人生とは、考えない事もないが、人様に迷惑を
かけなかったことがせめてもの慰めだったと自己肯定している。

こうしている今、ひとりの人間の最終局面に臨む私がいる、
「死の宣告」 その場で医師から仔細を聞かなければならない
悲しみを胸に秘めた男・・・

「後、余命・・・ 間!」 それは、余りに短い医師の言葉である、
親族から昨夜聞かされた電話だった。

気持を鎮めるため、私は、一番好きな公園に車を駐車させた、
・・・ ( 行こうか!)  私はエンジンキーに手をかけた。

公園の樹木に鳴く、小鳥のさえずりが心なしか低くなった。

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