「あの頃は、良かった!」
久しぶりに出会うと皆一様に答える、
昭和が昇り竜のように燃えていた時代だった。
喧嘩自慢の兄さん達が港町を睥睨して闊歩した、
夜な夜な血を滾らせて女に飢えた男衆がスナック
のドアを開けた、美貌のウエイトレスが居ると
知ると数人で押しかけたものである。
そんなこんなで女性を挟んで取り合いが始まる、
店の経営者にとっては頭の痛い話、店にようやく
慣れた頃、男が出来て店を辞める羽目になる。
せっかく女目当ての客が付いたというのに、鳶に
油揚、水商売の難しいところである。
純愛のカップルがいた、手も握れない純情ぶり、
今時 (その頃)でも珍しいプラトニックラブだった、
ところが、二人が店にくる事で知り合い達の目に
止まる、やがて異変が起きた・・・?
ほんの些細な事で齟齬が生じた 、純情同士だけに
余裕がない、そこへ礼儀作法の欠けたのが野心を
あらわにしてチョツカイを出した。
結局横取りされたのである、公園あたりでの喧嘩
なら人目も無く済むのだが、鵜の目鷹の目の舞台
では、誘惑が多すぎる、私の目の届かない範囲で
物事は進んでしまった。
どうなったか? 私は男を慰める役を仰せつかった。
ところが、後日談があって、
またもや純情は、同じ過ちを繰り返す羽目になった。
ジャニーズのアイドル顔負けの男前だったが、何せ
純情すぎた、
手も握ってくれない男に黙って添い遂げる女は居ない。
その点、女性は強いと思い知らされた。
片山町の夕日は、男女の恋物語で賑わった、
「マスター!」 私に泣いて訴えた乙女がいた、
「あの人が恋しい・・・!」 その涙は美しかった。
「マスター!」と言ったまま黙って下を向いた男がいた、
後に続かない言葉を胸に、涙を滲ませて俯いた奴がいた。
男って奴は何と切ないものか ?
ツワモノどもの夢のあと、杉の子遥かなり、八幡様の灯よ!
杉の子さん。このプログ、しみじみと拝見しました。時も場所も、人物も違つておりますのに、自分の青春を思い出しました。
振られてばかりの若い日でした。知らずに泣かせた人がいた、バカな自分でもありました。私の青春にも、貴方のようなマスターがおられて、やけ酒の私を慰めてくれました。高田の馬場の安酒場、愛ちゃんという名の、年上の女性の気っぷの良さに片思いをしました。
「笑わせんじゃないよ。好きだから別れるなんて、あんたねえ。」「好きだったら別れないよ。どんなことしても一緒になるよ。」「好きだから別れるなんて、そんなものは恋じゃないよ。愛でもねえよ。」
そんなセリフが今も心に残っています。
それから大学卒業の時、一人で九州一周をしました。なんと国鉄の周遊券が、980円でした。宮崎の橘通りの繁華街で、流行り始めたばかりの「女心の唄」を教えてくれたのは、ああ、もう名前が出てきません。これもまた、一晩だけの片思いでした。「あした、駅まで送って行くね。」喜ばせてくれたのに、せつない思慕だけが残りました。
しかし今ではもう、思い出すこともない、遠い過去の話です。貴方のブログが、消えた火を掻き立ててくれました。分かりますか、私は酔っております。今宵はビールです。家内とふたりで、こうして時々飲みます。 おやすみなさい。
もてる男よりもてなかった男の方が過ぎ去ってみると良かったと思います。人間としての幅が出来たと思います。
onecat01さん、こんばんわ、若かりし頃の悲恋物語、私と共通です、いや! 私の方がもっともてなかったですよ。
人を好きになるということは本当に苦しいことでしたね、もてなかったことが逆に商売をするようになると敗者の
痛みがわかるだけに助言ができて人助けをすることが出来ました。
一人で九州一周、瞼の向こうに浮かぶようです、しかしそのお陰でこうして一緒にビ-ルを飲める奥様と出会えたと
いう事は良かったじゃないですか。
不思議なことに、綺麗でもてた女性より、もてなかった、そして悲恋に泣いた女性ほど私の記憶に残っています、
「マスタ-!」 カウンタ-で涙を流して泣いた女性達、その心根がいじらしかった、どうしているでしょうね ?
恋に、男女の差なんてありませんよ ? 人を好きになるってことは切ないものですね、そうして人は強くなって行く。
片山町の夕日、杉の子に咲いた花々とその思い出が色褪せる事はありません。そんな辛い時、酒が助けてくれるのですね。