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雑談

遥かなり芦原会館  初代館長黎明期

遥かなり芦原会館 初代館長黎明期
多忙な仕事が一段落した後、懐かしい思い出に浸るのは夜、
私はひとり、わが部屋でパソコンに向う。

想い出の懐かしい人々と対面する、彼等の若き雄姿と現在、
得もいえぬ郷愁に我を忘れる自分が居る。

私の故郷、愛媛県八幡浜市、昭和がまだ輝いていた頃である、
町は蜜柑と漁業で賑わいを見せ、町のメーンストリートには
いつも買い物客で華やいでいた。

東京弁を軽妙に話すひとりの野人が宿を取った、まだうら若き
二十歳を過ぎた男、彼の名は 芦原英幸 極真会館大山道場の
新進気鋭の空手家、向こう見ずの猛者、町のチンピラ達が訝る
ように距離を置いて囁きあった。

「あれが噂の極真会館 芦原か ?」稀代の空手家 カリスマ
芦原会館誕生の一瞬だった、芦原初代黎明期の始まりである。

芦原 (以下敬称略 ) が八幡浜に降り立つ1~2年前 ?
極真会館大山館長、中村忠はじめ7~8名だったと思うが
愛媛県野村町に来た事がある、

私も後輩とボロ単車を蹴って昔の山路 泥道を走った、
当時の野村には伝統空手が根付いていたが、フルコン
本家の空手は違った、新鮮な驚きだった。

芦原は、二十歳ぐらいの年頃だったと思う、門弟たちには
申し訳ないが、外国人の同門には全く歯が立たなかった、

しかし、痛がるそぶりはしたものの負けず嫌いの片鱗は
強烈に印象に残っている。

その時の極真会館の基本稽古、突き蹴りの技は彼が八幡浜に
降り立った時も同じだった。

芦原初代の技が今のサバキに移って行ったキッカケ、発端を
私は、想像できる、関係者が存命しているのでボカして披露
するが、

有る著名なボクシング関係者と高名な合気道の指導者の二人、
この交友関係に芦原サバキの秘密が有ると考えている。

その交友の中で、人知れず隠された出来事が有る、アメリカ
デンバーの円心会館二宮館長と私の無二の友、井上周二 この
二人だけは知っているかも知れない ( あくまでも想像だが? )

その交友とライバル心の中から、芦原会館の礎となるサバキは
生まれた、私はこのよう推測している。

少林寺拳法の影響と云うよりも合気道の技を取り入れたと私は
想像している、果たして門弟の皆さんはどう思っているだろう。

正道 二宮、道真 久保、中元 中元、円心 二宮、この方々はよく
存じているが、彼らより後の方は存じないので割愛させて頂く。

この中で正道 二宮師範の動画を見れないので論じる事は出来ない
が、芦原会館 初期の頃の基本を受け継いでいるのが道真 久保館長
のように思えるが如何だろう。

芦原会館サバキを、万感の思いで広めているのが円心の二宮館長、
彼は元々柔道が出発の人、今まで世界選手権の試合しか見る機会が
無かったが、ここに来てようやく円心の動画を見る機会に恵まれた。

相手の突き蹴りを円を描くように捌いて受ける、柔道の技を取り
入れて投げる、極める、そして突く、蹴る、華麗に舞う!二宮館長の
胸の内は万感胸に迫る、感激ひとしおであろう。

私が二宮館長の動画で興味を引いたのが刃物を持った相手への防御と
攻撃、

一つは、着ている道着を脱いでの防御、もう一つは帯を外しての防御、
私の紐縄と共通した技を拝見して、成る程、意を強くしたものである。

ちなみに私は彼の実家を継いだ兄さんとは冗談を言い合った仲で
有る、懐かしい思い出として大切に胸にしまっている。

小さな食堂から目の鋭い男が食事を終えて出て来た、極真会館芦原
道場、芦原英幸である、

「Sさん、漫画見てくれた ?」 キツイ眼差しだが少し照れたような
顔、「見ましたよ!」 彼は照れ笑いを返した。

彼、芦原とは空手よりも個人関係の方が私の記憶に深く残っている、
猛々しい男と云う印象が先を走る、孤独な影、淋しさを忍ばせた目、
私に在りし日見せた男 芦原英幸、彼にも辛い時期が有った。

二人だけの胸に秘めた思い、これは墓まで持っていく、男の絆を !

八幡浜港フェリー乗り場から宇和島運輸のフェリーが錨をあげた、
一路、九州は別府港へ向かう、

希代の空手家、芦原英幸の眼差しは優しかった、
共に彼の長女と私の長男は江戸岡小学校で机を並べた。

安城寺境内、彼のお墓に佇んでひとり呟く男がいる、
昔を懐かしみ、交友を中断した男同士の語り合い、彼はいつもの
ことだが、黙って聞いている、 後ろの笹が揺れた !

「もう少ししたら、そちらに行きますよ、 今度は ?・・・」
芦原の得も言えぬ笑顔が脳裏に浮かんだ !?

芦原 英幸

合掌

遥かなり芦原会館  初代館長黎明期” に2件のコメントがあります

  1. 無沙汰をいたしております。
    Sさんお元気の様で何よりです。
    数年前、二度ほど久保館長と共に八幡浜に参りました。
    目的は館長の幼少期から青年期にかけての様々なエピソード、分けても空手に関する事を私に伝える事にありました。
    加えて館長所縁の店での飲食、楽しんで参りました。市役所前の鳥平、美味しかったです。
    神宮前の芦原道場跡、江戸岡小学校にも参りました。
    分けても印象に残ったのは晴れ渡った愛宕山から望む向井灘の情景でした。
    二度の取材旅を終えて私は八幡浜を舞台とした空手少年の成長を描いた小説を一本書き上げました。題名は向井灘の誓いです。

    拙い作品ではありますが館長には喜んで頂きました。
    その後、八幡浜の芦原道場に興味を持ちSさんの旧ブログに出会ったのであります。
    この夏は記念パーティーでお会い出来て本当に嬉しかったです。
    またお会い出来る事を楽しみにしております。
    師走の忙しい最中、御身お大事に。
    押忍

  2. 武道多聞さん、
    お久しぶりです、早くご一緒に食事をと思いながらこうして日にちを数えてしまいました。
    飲み会の前に一度近い内に、久米窪田の焼肉店へご一緒したいと思います。

    都合の良いときにでも携帯へご連絡下さい。良い人を紹介したいと思っています。

    そうですか八幡浜へ行かれましたか、久保館長と同時期に八幡浜に居ましたので思いでは
    重なってきます、

    向井灘の誓い 是非私にも有料で頂きたいと思います、楽しみにしていますよ。
    時代が世知辛くなるほど、武道に携わる人間が愛しくなります、殊に私のような年代に為ると
    皆 仲間 友達です。

    再会できる日を楽しみにしています、是非 ご連絡下さい。

    押忍

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