日本よ何処へゆく
世界各地でテロが横行する
世界各地でテロが横行する、どちらの国もそれぞれの言い分があり、各国正当化して相手を罵る、そこに妥協の余地はない。
日本の石破政権は片方の国の住民を受け入れると述べている、争いで危険なのは、間違った国の肩を持って一方に組みするあやうさ。
後日、それが取り返しのつかない障害になる、慎重に検討する必要はないのか、政権全体の意志が間違った政策を良しとするなら子孫の将来が気にかかる、政治家、官僚の責任は重い。
日本を目指す人間の良否を誰が見極めるのか、銭金には代えられない。
中国へのおもねり、ガザへの前向きな受け入れ姿勢、政権は一体何を日本にもたらせようとしているのか、腰の定まらない過去の政治姿勢を振り返るほどに参議院選挙の投票結果が日本の分かれ道になる。
国民が日常経験している事だが、うわべのお世辞、耳障りのよい言葉に騙されるな、子孫に阿鼻叫喚の明日を残すな、残してはならない。
私は改めて、人相、立ち振る舞い、言葉の遍歴等を比較して見る、その人の全てが手のひらに乗る、そして真実の姿を見せてくれる。
「 Y君 ! おはよう ! 」 一年担任のY先生の声、当時としては大柄の女先生、優しい人だった、こうして、長い月日が通り過ぎてもあの笑顔が浮かんでくる。
叶う事なら逢いたい、会ってみたい !
このように子供、生徒を慈しむ先生の多い時代だった、国が敗戦の痛手に呻吟していた昭和の御代、打ち萎れた戦後なのに子供達は屈託のない笑顔を見せていた。
良き時代の教育、生徒と先生の心が結ばれていた、日本の戦後教育 !
その内、教育界にも思想の壁が現れるようになった、先生達の戸惑いが見えるようになる、戦後教育、その変遷。
多くの先生達が戦後の荒廃にも挫けなかった子供達を守り通した、人口の少ない寒村の村は、都会や大きな市町村に負けまいと生徒達を護ってくれたのである。
「 Y 君 ! 泣いちゃダメよ !」
その温かい言葉が淋しい時、辛い時の支えになったのである、理不尽に刃向かい、弱きを助ける男の原点の芽生えだった。
人間には素晴らしい資質が備わっている、だが、上に立つ者の資質が悪いとその害が下へ向かう、国内国外を問わず現れている。
日本よ何処へゆく !?