広告
雑談

少年犯罪に思う とどめを刺す 武士の作法

大人の凶悪犯罪が頻発する、それに比例するように少年犯罪の
凶悪化はどうしたことか、大人社会の縮図が子供達に影響する。

日頃仲良しだった子供が些細なことで友達を殺める、私には
想像も出来ない衝動殺人といえよう。日本の国が揺らいでいる。

我々が子供の頃、そして成長してからも男同士の喧嘩はよくあった、
しかし、殺人にまで進むことは稀でしかなかった。

理性がある程度以上の衝動を抑えたのである、子供社会の集団登校
年上の兄ちゃんとの触れ合いの中で秩序というもので学習して行った。

小さい頃は、相手が泣けばその時点でやめ、少し成長すると相手に血が
出ると留めに入る者がいた、大人になってもある段階で周囲が止めた。

それが現代はどうか? 歯止めが利かない、テレビ、映画、ゲ-ムに見る
流血の日常性と暴力の美化、どんなに殴られて倒れても、血が吹き出ても
すぐ立ち上がって反撃する、スーパー性、空想と現実が混沌として見境が
できない幼稚性、怪我の程度を理解できないため相手の重大性が判らない。

「気がついたら息をしていなかった ! 殺すつもりはなかった、死ぬとは
思わなかった?」

悲惨な少年の悲劇はなくならない、マスコミ業界に警告する・・・
加害者は未成年というだけで必要以上にプライバシ-が守られる、しかし
無残に殺された少年少女の姿は写真入で拡散報道される、無秩序に ?

もう、この矛盾に良心の呵責が合ってもいいのではないかと私は思う。

まさに、とどめを刺す、この酷さに息を呑む、被害者の無念、その家族の
やり場のない悲しみに、答える方法、術はない、私の身近にも真面目に
アルバイトに精を出していた少女が交際相手の男に金をせびられ、挙句の
果て命を奪われた。

友人の息子は親の経営する店の前で深夜覚せい剤中毒の通り魔に刺し殺された、
店の外が騒がしい、何故とその人ごみを掻き分けたら我が子が血まみれに
倒れていた、めった刺し、即死だった。

両親の苦しみ悲しみは言葉で表せない、寄り添う場にいた私はもろにその嘆き
に接していたのである。

これらを経験して思うのは、日本の刑法はおかしい、余りに被害者とその家族
へのホロ-がなおざりに、疎かにされている、反面加害者は大弁護団で強固に
守られている、この矛盾はどうしても看過できない、友と子の無念を想う。

トドメを刺す、武士社会の興隆の中に確立した「切腹の風習」切腹は短刀で自ら
腹を切り、介錯と呼ばれるトドメを刺す役によって首を落とされた。

若い頃、「とどめを刺したか ?」
それは息の根を止めると言うのではなく、足腰を立たなくして二度と歯向かって
来られないよう痛めつけたかの意味だったが、喧嘩の場でよく聞いた言葉である。

日本人の清さ、規律、矜持、厳しいシキタリの中で確立した作法である。
良し悪しの判断は他の方々に委ねたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告