小説、劇画の世界で想像して見る。
殺人予告! 斬首作戦開始 ?
どんなに屈強な男でも殺人予告を堂々とされたら恐れて
怯えるのではないか ? 普通、凡人ならそうなるだろう。
ところが、武道に関して論じてみるが、全くの素人さんが
道場へ稽古に来る、未経験で当然肌の痛みは分からない?
それが相手から、鋭い突きや蹴りを実際入れられて見ると、
その痛みに仰天する、次回の出稽古は怯むのではないか ?
もう、あんな痛いのは嫌だと ! ただ、目的を持って習う
人は覚悟しているだけに稽古は続けられる。
日頃屈強なボデーガードに囲まれている、だから痛みを知らない、
今まで、どんな争いごとでも彼らが盾になって捌いてくれた、
本人に向かってコワモテが殴るぞと脅しの啖呵を切る(殺人予告 )
こんな時、果たして本人に実感として事態を飲み込む事ができる
だろうか ?
自分を守ってくれるボデーガード達が蹴散らしてくれるだろう!
このようにたかを括るのではないか ?
現実の事として事態が把握できない ?
しかし、事はそう単純ではない、相手は、その屈強な男達をも
吹っ飛ばす武器を構えているのである。
それでも本人は、なあにこっちにも抗するだけの武器があるぞ、
何なら使おうか ?
この、売り言葉に買い言葉、緊迫した状況になってしまった ?
私等であれば、じゃァ! やって見んか ! と囃し立てたくなる、
始末に負えないのは、そうすると隣近所に飛び火する、 ?
火事になる ? 家が重しに潰される !怖い武器だけに身を縮める。
実際はこの何千倍、何億倍の災難が起きようとしているのである、
北と米国のチキンレース ?
アメリカに怯むどころか果敢に挑む勇気を偉いと思うか、逆に
怖さ知らずの坊ちゃんと呆れるか ?
それにしても、この喧嘩周囲にとっては迷惑この上ない !?
第三次世界大戦の端緒にならなければ良いが ?
それでも国会は子供でも呆れる程の幼稚がまかり通っている、
国民に至っては日常の生活優先で明日が見えない、見ようとしない!
ええい? ままよ、今夜はやけ酒でも飲むか ?
アホウの仲間入りが此処にもいる、
「半島だって!慰安婦の祟りだと ? ブーメラン食らうぞ !」