民主主義は多数決
この基本を忘れると政治をはじめ組織の責任者は失敗する。
私事の経験で申し訳ないが、私が組織の執行部に入った時大半は指導者の賛同者だった。
だから責任ある立場の私の案でも受け入れてくれなかった、「何 !」歯がゆい思いと怒りは、ぐっと胸に秘めて収めた。
今だから言うが、それからしばらくして執行部の風向きは変わった、多数の人材が私の側に代わったのである。
ここで多数決の倫理が成り立つ、
執行部の政策立案は、私の賛同者でどうにでもなる形になっていたのである。
しかし私はどこかの政治と違って全てNO ! 反対はしなかった。
何故か、会長選挙に敗れた相手ではあるが彼の人格を私は評価していたからである、私念は腹に収めて彼に協力した。
そこで、今でもよく耳にする「報復案、報復人事 !」はトップの度量が左右する、又、その側近たちの人格が影響する事になる。
空気は陰気臭いと澱んでくる、明るく闊達な人材がそろうと組織は活性化する、その逆は組織にとって不幸であり衰退する。
隠居の身になった私だが、彼らの動静は殊に耳に入ってくる、その良し悪しは少し置いといて、人間は慢心すると周囲が見えなくなる、「驕る平家は久しからずや」
コロナウイルス感染の恐怖 !
私たちはいつ何時感染という悪魔に魅入られるかもしれない、私のような年寄りになると、それは即、死を意味することだと受け取っている。
生き続ける者たちへの讃歌、「いがみ合わず仲良くしなはれ !」その逆行がなされるなら、神の怒りに触れる事もあり得る。
いまだ、私に愛情を寄せる同志は多い、「多数決は民主主義の宝」
その伝家の宝刀が抜き為されないことを願う !?