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雑談

先人の努力に  学べ

12月5日火曜日 恒例の犬との散歩に土手へ下りてみた、
毛糸の防寒帽を耳まですっぽり被って出たのだがその耳が
痛いほど冷たいことに気が付いた。

河川敷が凍ったように寒々としていた、生きとし生けるもの
厳しい冬将軍の到来である、対岸には国土建設省の作業員の
大型除草機が唸りをあげて回っていた。

どうりで昨夜から生き物達の姿が消えた寒空に何処のねぐらか、
毎年、この時期になると透き通る青空を眺めて思う土地がある。

寒気、その言葉が正に当てはまる重信川河川敷の冬、しかし
海峡を越えて朝鮮半島、中国大陸、酷寒のロシアのシベリアに
目を転じて見るとまだまだ不平不満を言って居られない。

シベリアの凍土に竹馬の友の父は望郷限りなき朽ち果ててその
地に眠っている。

自分達の意志を断罪された北朝鮮に拉致された日本の人々、その
無念さは血を吐く思いに違いない、だがこれが残酷な人間の仕業
であることは疑う余地もない。

生きて連れ戻したい、日本人全員共通の意志になることを切望する。

私は南国に生を受けた、だから友の父の抑留生活は悲しみと嘆きに
枕濡らした日々だったに違いない、寒さにはことのほか弱い土地柄、
辛く耐え難いシベリア酷寒の地、辛い抑留生活に胸が詰まる。

戦争は罪だという、自分から仕掛ける戦争と、他国から侵略蹂躙
されて応じる戦争、同一に語ることの不条理がここにある。

政治家の欺瞞を見抜く目を国民は磨く必要がある、他国から攻撃され
国土を蹂躙されるのに何も抗しないことが正義ではない、国土・肉親を
守るために立ち上がる戦争もある。

シベリア抑留、拉致被害者を生んだ戦前戦後の自縛史観と政治の怠慢、
憲法9条精神主義の危うさ、現にこの北朝鮮危機と尖閣問題は9条の
限界を示して余りある。

敵基地攻撃兵器の予算要求、日本人が己を守るために遅すぎた検討策
である「備えあれば憂いなし」 今こそ先人の努力に学ぶべきである。

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