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日常生活

虚をつく 間合い

虚をつく 間合い

この数日来の人間関係に面白い現象があることが分かった。

虚をつく、相手との間合い、不思議な感慨を覚える。

記憶が学生時代に蘇る、

農業実習の時間に、校庭の一角、農舎の横に10m四方のため池があってポンプを駆動して田圃や果樹園に水を供給していた。

農業高校には教師を補佐する指導員がいて、生徒との触れ合いが日常のことだった、今振り返ると理由は何だったのか分からないがため池の一角に石段が設けられて常に上がり下りしていた。

水面まで降りていた私は用を済ませて地上に戻ったのである、その時、ぱちんと音が鳴ったと思うと頬に強烈な衝撃が来た、拳ではないが平手で殴られたのである。

こんな時は、あまり痛くはない、突然の衝撃は痛みを軽減するようにカッと血が昇るため痛みが軽くなる。

一呼吸おいて神経が正常に戻った、そこで殴ったのは誰だとなる、なんと視野の中に中年の指導員がいた、おとなしい私を何なんだ  ?

それ以降、弱いものを庇う私の基本になったのである、説明する ・・・

その時、指導員の側でガキ大将、番長たちがホースで悪戯をしていたが、それに注意出来ない指導員がうっぷんを私に向けたということである、こんな手合いはよくいたものである。

イタズラの質がまことに恥ずかしい、それ以後、私と出会った時の指導員は気の毒なほどオドオドしていた、後年私が店を開業した時、仲の良い先輩が連れて来たが、後悔は続いていることを悟った。

私の誇張された噂話を彼は聞いていたのである、しかし、私はいまだかって理不尽に人を殴ったことはない、全て受けからの対応だった。

若い頃の私は、相手の攻撃が全てスローモーションに見えた、だから難なく避けれたのである、光り物然り、通りすがり彼らの喧嘩を見て思わず笑った私に敵意を燃やした男達もいた。

殴っている最中に、その幼稚な腕を思わず笑った私に彼らは不快感をよこした「杉の子の野郎!」それでも直接文句を言うことはなかった。

実力のない者の悲しさ、面と向かって挑む者はいなかった、幸運と言えよう、私の懺悔録の一コマである。

色々な人々との触れ合い、そこに有る間合いと虚をつく仕草、改めてご披露いたしますが、実は今日もあったのです、取引の場で一対一の静かな攻防。

私は相手を凝視しない、あまり見つめない、視野の中にそっと触れる、一瞬で視線を流す、心のヒダを覗く、、それで充分です !

相手の眼に注意を払う、その動揺を見逃さない、そこをつく、硬軟おり混ぜた私の目の遊び、子供時代のあの風景が浮かんでよみがえる。

虚をつく 間合い   !?

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