静かに時を刻む
静かに時を刻む河川敷公園は、駐車する車両の数も少なく降り注ぐ雨の音だけが風の音を交えて聞こえて来る、改まって考えた事はないが私が最も好む自然のメロディである。
雨の音の合間に、小さな虫達の生きるための合唱が訴えている。
土曜日ともあって土木会社の重機の音も聞こえない。
人間社会に与える雨の効用と脅威は理解できない自然現象と云え、人間対雨は、幾多の悲喜劇を繰り返して来た。
私の育った田舎は、大きな災害もなかった事で自然の猛威からは幸いなことに避けることができた、それゆえに故郷は温かい思い出の詰まった環境だったと云えよう。
みかんと座敷雛、我が故郷の代名詞となった、自慢の故郷である。
戦後は、ボロを纏ったみすぼらしいお遍路さん( 心ない住民達はへんどと蔑んだが) 心ある優しい人は小金や食べ物を差し上げていた、優しく遇していたものである。
私の両親は情のある対応をしていた、子供なりにその善悪を理解して育ったのである。
人間としての尊厳はその様な姿を見て会得して行くのである。
小説の大家松本清張先生の作品に、この遍路さんを扱った名作がある、原作 松本清張、映画の監督は 野村芳太郎、
「砂の器」 今の時代では見掛けない、どん底の父と子の物語り !
吹雪舞う海岸線を寒さに震えながら親子が歩く、映画全編が感動の!渦に包まれて観客の涙腺を緩めた。
ハンセン病 (昔はライ病と偏見された病い)私の知り得る範囲にも、気の毒な人がいた、今は亡くなったがその子供は仲良くした後輩だった。
私がその黄泉の国へ行く時が来れば、必ず彼に会いたい、チカラになれなかった非力を詫びたいと思う。
砂の器、役者とバックミュージックは、私の身体に染み付いている、加藤剛さんの渋い演技が忘れられない、そして父親役の加藤嘉さんの運命に翻弄される父親の哀しさ、胸つまされました。
人間の欲には限界がない、最低の環境に耐えている人がいる、私の自戒はそこに向く、明るい解釈を心がけよう、まだまだ下がある。
静かに時を刻む !?