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日常生活

一瞬の狂気

一瞬の狂気
人間は誰しも腹の立つことがあり、殴りたい衝動に駆られることがある、
ぐっと堪えるか、感情の赴くままに手を出してしまうか、各人各様である。

私は感情をコントロ-ルして我慢して来た方だと思うが、振り返ってみると、
激情に駆られて、殴る寸前まで行ったことは何度かある、でも我慢した方が
多かったですね。

武道家でも、一旦手を出すと押さえが利かない人もいた、武道に造詣の深い
人ならすぐ名前の挙がる空手家は冷酷な程の反撃で相手を撃破した。

素人と違って、それで飯を食う人たちは強いところを見せて足腰立たないように
して帰さないと、「大したことはなかった」と世間に吹聴されて以降、飯の食い
上げになって道場運営にマイナスになる、だから痛めて帰したのだろう?

あの芦原さんだって、まだ22~23歳の頃は、ハッキリ言いましたよ・・・
「Sさん、負けることはないが、もし看板を持って帰られたら、飯の食い上げに
なる、だからその時は、手段選ばずに、やる やります !?」 

彼はそう言って手製の手裏剣を手に取り、壁に向かって投げる振りをした。
目は狂気に据わり、彼の覚悟と執念を見る思いがしたものです。

時代がもっと古かったら彼の身の置き場が有ったのにと思いましたね。
それまでに接したことのない武道家タイプで、一種異様な感覚の人でした。
現代スポ-ツとは異質な、昔の古武士を髣髴とさせる武道家でした。

戦場に於いて情を掛けたらこちらが死ぬ、殺される、だから相手を殺す、
戦争への道は、勿論避けるに越したことはないが、降りかかる火の粉
襲い来る外敵には対処しないと自分、家族、国民が無残に殺されることになる。

戦争する自衛隊と、その1面を取ってレトリック、わめくが、冷酷無残な民族
が世界には多いと自覚することも、安全を担保するためには必要である。

あなたは、可哀想と何とも思わないで相手を殴ることが出来ますか ?
動物のように本能のままにパンチや蹴りを出せますか ?

年とともに、それが鳴りを潜めて、我慢の出来る人になる、いわば無抵抗主義
平時はそれで良いのですが、いざ鎌倉、国と国との戦いになれば自衛のために
立ち上がる、敵を蹴散らす、行動が必要になる。

「お前は、刀を振り上げたら、必ず相手の頭に振り下ろすだろう・・・?」
それを言われたからこそ、以降の人生は平常心を心がけたのです。

社会のいろんな場面で、鉄槌を振り下ろしそうな場面がある、人生は難しい。

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