文章を書くと、たとえばブログに想いを書くと受け手に実際以上に
苦悶しているように取られがちであるが私に限っては人が感じる程 悩んでは
いない。
それは多分私の人生が他人以上に多彩な出来事に彩られていたことをはじめ
身内の生き死に際して医師の余命宣告の聞き役、経済的に困窮者の相談、文章
に出来ない修羅場の仲裁等さまざまな問題解決に奔走したことが、人より耐え
られる 精神構造をもたらせたのだと思う。
だから文章にするほど悲観的にはならないし喜怒哀楽を楽しみながら追っかけ
てるといえば良いだろう。
それと大事なことは、事実大変な事態になろうと、深刻に考えないで楽観的に
受け取ることが事態打開の秘訣に繋がっている。
事が起きる、どう受け取るか ?
起きたことは仕方がない、なるようになるさ ? 運命論者の良いところである。
車の事故、元に返らない運命ならば相手に対して誠意を持って最善をつくす !
数年前
喫茶店から前の道路へ出ようとした、歩道で一旦止まったのだがまず左側確認、
建物の陰で数メ-トル先を確認できぬまま右側交差点の信号に気を取られて少し
前進した、そこに自転車の老人が居たのである、ゆっくり押し倒した形になった。
救急車の手配、運ばれた病院は胃腸科専門病院、レントゲンの結果骨折の疑いあり、
被害者はその後自宅へ帰った、翌日形成外科で再レントゲン、骨折なしの結果が出た。
その老人は、警察への報告では形成外科の診断書ではなく胃腸科の診断書を提出した、
その結果、私の交通事故の違反は1ケ月の停止(講習で短縮) 検察庁での事情聴取の後
20万円の罰金となった。
自分が起こした事故である、受け入れなければならない、以降の教訓になれば良い。
正直、20万円の罰金は痛い、被害者宅へは相手が恐縮されるまで手土産を持参した。
何事も考え方で、見る角度で違ったものになる、そうなら自分が傷つかない視点で眺め
ればよい、私の信念である。
数年前、あることで裁判所に係わったことがある、人間の一番弱い部分が噴出して(妬み
嫉みの類だったと思っているが) 1年猶予 係わることになった、同志たちが陰に陽に
励ましてくれた、その結果一件落着、人間の性根を見る機会となった。
人間関係は、肝心なところでは性根をすえる、しかし、細心な気配りも必要である、
一喜一憂するべからず、特に男は動じないこと、周囲を見渡す余裕を持て。
人の悩みに相対すると、我が身の悩みが小さくなる、これが私の処世術である、ゆえに
私の悩み相談処は、休む暇なし、千客万来 !?
「Sさん、来てくれる!」早朝 長老から電話がかかってきた、レオさん写真のロケ-現場、
おっとり刀で駆けつける、ユンボが待っていた、我未だ暇なし、天使の館遠ざかって久しい。