NHK「クロ-ズアップ現代」キャスタ-国谷裕子と高倉健の
対談を録画で観た、健さん70歳になった時の対談である。
前後して、黒柳徹子の「徹子の部屋」の録画を見た、この時
健さん 49歳。
一言で言うと面白かった。
健さんの人柄と年齢に応じた性格の微妙な変遷が面白かった、
そのような言い方で健さんを語るのは不遜かもしれないが、
大ファンの甘えでお許し願いたい。
基本は、ぶれないところがすごい、さすがと感心した。
健さんとタッグを組んで、鉄道員ぽっぽや、ホタル等の映画作品
を監督して来た降旗康男監督の健さん評に興味が湧いた。
滲む涙から落ちる涙に・・・ ? 長い間コンビを組んできた
降旗監督だから言える言葉だろう。
涙と言えば、不思議なもの・・・、
うれし涙、悲しい涙、慟哭の涙、歳とともに情話で出る涙、
私にも該当する、
男同士の葛藤にはけっして流さない涙なのに、情が絡むと出る
涙、これは制御できない領域である。
つい先ほどにもこれで失敗した、ある戦いというよりも選挙の話、
長い下済みの野党暮らし、改革の夢絶ち難く挑むこと数回 ?
負けが続く戦いだったが運命のいたずらで自分が挑むことになった。
厳しさと人の情けを実感した苦労の行脚は、いろんな人の心を見る
事のできた日々だった。
投票の瞬間は不思議な場所に居るような感覚だった、あそこには
魔物が棲んで居た、
投票に向かう会員が大方私に投票してくれる錯覚に落ちいっていた、
長年の苦労が実る予感と、相手候補の寂しい家庭環境が浮かんで
自然に涙があふれてきた、不思議な感覚だった。
男同士の戦いには強いはずだった男が、情ばなしで涙腺が緩んだ、
魔の時間の誘惑だった。
そして敗れた、或る人は、まるで雨にずぶ濡れになった雑魚と形容
した、そうだろう、心を覗けぬ他人はそう思った筈である。
その年は、
思いも寄らぬ災難が降りかかり、いらぬ敵を作ってしまった年だった。
もう少し踏ん張りが必要なのに、あらぬ想像で自分を見失っていた、
緊張の糸が切れると、人間は弱いものだと実感した。
健さんに対する降旗監督の指摘は、不肖 我が身の出来事とダブって
妙なところで納得した。
健さんの寡黙に俯く姿と、得もいえぬ笑顔に、自分を重ねていた。
涙とは不思議なもの、出してしまうと、心が晴れる。