今年春のお彼岸は、仕事が多忙すぎてお墓参り出来なかった、
そのかわり竹馬の友たちが桜の下のお花見で電話を寄越してくれた、
今年は3軒あるとの事で天候にも恵まれ例年にない賑わいを見せている。
お祝いしてもらえるのはその家の長女だけ、二女 三女以下は祝ってもらえない、そんな不公平なと思わないでもないが、これが伝統だから仕方がない。
1人の棟梁の元、村人総出で仕上げる、8帖~10帖 または倉庫全部を使って山川、そのせせらぎ、ひとつの社会が表現される、女性方は一度は見ておいて損はない、これぞ日本の美意識、世界に比類なき伝統。
もし、外国の旅行者が見れば感嘆の声を挙げるに違いない、来年は行政とタイアップして誘致すれば良いと思う。
外国の旅行客が増えた今我が故郷の座敷雛の会場に外国人の歓声があがる様を想像するのも面白い。
外国人のマナ-の問題は有るとしても、唯座敷雛に驚嘆してここに住むと言い出されても困るが。
良い事ばかりではない、貧しい家庭に生まれてそれが例え長女だったとしても祝ってもらえなかった長女もいたと言う事実にも配慮すべきである。
その長女にとっては煌びやかな座敷雛も悲しい差別の象徴として心に刻まれているかも知れないのである。
私が過去の風景を偲ぶ時、思い出される人がいる、寡黙で慎ましやかなその人は長女だった、果たしてこの座敷雛を飾ってもらえたであろうか ?
初恋の通り道 その原点が 座敷雛エレジ-にあるとすれば余りに切ない。
どんな想いで故郷のシキタリを思い出していることであろう、山に頂く段畑と西の大島へと続く青い海原、その手前に荒波に洗われる「かぶ島」ふたつ !
故郷はさまざまな感慨を抱かせて静かに佇んでいる、それは新緑の芽吹く春 !?