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人生

幸せの基準  人それぞれ

私が素に戻って自由自在に想像の世界を飛び回る時間が
やって来た、広いアスファルトの空間は邪魔する人もなく、
静かに降る雨の音だけが屋根を叩きアンサンブルを奏でる。

巨大企業で定年を迎えた友は独り立ちの息子達を送り出して
夫婦ふたりきりの日々を迎えている。

手厚く護られた身分の定年後は、彼ら夫婦にとっては至福
の時間であり、苦労を乗り越えた2人に対するご褒美なのだ。

電話をかけた時、友は風呂掃除をしていた、若い時には考え
られなかった主夫業である。

亭主関白も歳を重ねればかかあ天下、それで良いじゃない ?
そう言って私は彼をからかった !

籠の鳥、彼の口から思いもよらぬ言葉が飛び出した  ?
常に会社人間、企業に人生を託した自分への総括でもあった。

Sさんは良いなぁ!  多くの人との出会い、 羨ましい  !
人それぞれとは言え、会社に束縛された人間の口から聞くと
頷くものがある。

自宅と会社の往復で人生の大部分を占めた、人とまじ会う機会の少なかった事に気がついて、呆然としているという訳である。

その事に私はこう答えた、人それぞれとは言え、人の出会いも大切だが、やはり生活の安定と家族の団欒が一番だよ。

慰めを交えた言葉ではあるが、
「なるようになるさ  ! ケ・セラ・セラ  !」 「 だぜ   !」

幸せの基準をどこに置くか・・・
私の場合は経済的に苦しくとも人間関係の充実に重きをおいて来た、その結果人様が仕事を、金を運んでくれるようになった。

どんなに財産ができても家族以外付き合う人もなく孤独な人生を歩んでいる友もいる、親身に相談に乗ってくれる人はいない  !

果たして何が幸せであろうか  ?

それでも経済的に恵まれた人は良い、不幸なのは双方とも縁のない人の場合である、自分勝手、好きな事をした結末がこれでは救われない、黄昏を迎えて何を思う日々であろうか ?

気がつくと雨脚が強くなって車内の気温も下がって来た、

温かい家庭が有って愚痴を聞いてくれる人がいる、それが一番だと気がついた、

それでたまに好きな酒が飲めれば言うことはない !?

 

 

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