はやぶさ2と 野宿ひとり旅
皆さんは海を眺めると何を思いますか ?海のない県民と海に面した県民ではその思いが違う。
私の故郷は、東に急傾斜の山肌を頂き西に大海原を控える小さな寒村、私たちが幼い頃は半農半漁の貧乏を絵に描いた小部落。
山仕事を終えた大人が急な山道を徒歩で家路に着く、疲れた身体を物ともせず子沢山の親父は四つ張り網で海に向かって漕ぎ出した。
エンジンなしの手漕ぎの艪を漕ぐ男たち、勇敢な村人達は荒廃した戦後の日本を支えたのである、国の為、家族を守る為、南海の海に散った英霊とは別に日本の片隅で男達の歴史はあった。
昼も夜も働いた明治、大正生まれの日本男児達、村にお金がもたらされる様になったのは、昭和30年代、みかん景気の到来からである。
八幡浜市に始めて蜜柑を導入植樹したのは、私の終生の友になる高校柔道の荒業師、名主将 S・O !彼の祖父がその功労者である。
彼の自宅の庭には祖父を讃える碑が建っている。
彼の家の前から九州は大分県、別府市へと開拓の夢を抱いた農家の二男三男達が海を渡った。
その中に、大分県の国東半島へ渡った私の竹馬の友 N・Y の姿もある、高卒後、寝袋一つでバイクひとり旅、見知らぬ土地で何が出るか分からない山奥での野宿は勇気がいる、事件に巻き込まれる恐れがある、誰でも真似の出来る事ではない、それを彼はやったのである。
野宿ひとり旅のハシリではないだろうか ?
彼ら夫婦は苦節数十年、地域に溶け込んで現在は地区の指導者として人望を集めている。
私達の眺める海は、豊穣の海であると共に蛍の光の流れた別れの海である、希望と苦悩が交差した、歴史に根ざした海でもある。
海のない県の人たちが眺める海、壮大なパノラマー、空への架け橋、そこに厳しい風景は見当たらない、人を落胆に貶める魔物は見えない。
自然の前に人間は無力である、自然との共存を心がけるところに幸せがもたらされる。
海よ ! 悲痛の底に貶める魔の海よ !
海よ ! 希望をもたらせる愛の歌、二人の幸せを祝福した
かけがえのない海よ !
青い地球、豊かな星よ !
小惑星探査機 はやぶさ2が帰りを急ぐ愛の星、母なる地球、
無事の帰還を祈る !?