ケチ道 先輩 !
人間個人の深層心理を探ってみる遊び心、あくまでも軽い気持ちで見ています。
ケチ道私は既に言い述べて来たが貧乏人の悲しさで人に奢ることを知らないケチ人間だった。
特に同じ年の従兄弟には随分お世話になった、今振り返っても冷や汗が出る。
自分の経験から割り出される人間学がある、ケチ人間、こんな男達には友人が少ない。
これはハッキリしている、私ももう少し歳を取るまで同じ行いをしていたら友達が去って行ったに違いない。
誰がどんなお人好しでも、毎度毎度人の懐を当てにするケチ人間と付き合う気になれる筈がない。
ケチ人間は友人が少ない、相談者もできない、孤独な人生を送る人が多い、現にそんな友人が私の周辺に結構いる。
同級会に呼ばれない、呼ぶ友もいない、損だな!私もそんな男になっていたかもしれない。
そう考えると武道家達との交流は私の人生に花を持たせてくれた、男の世界は、勿論ケチもいるがそれを正してくれる常識人間が必ずいるものだ。
学校を出てからも後輩にたかる先輩がいたら、そんな奴とはさよならすれば良い、先輩の価値なし。
私が腹を割って付き合うおとこ達は皆身銭を切って後輩達の面倒を見る、スパーと爽やかなものです、懐が心細かっても身銭を切っています、男ですね !
ケチということは相手の気持ちが読めぬ人ということではないでしょうか ?
ある先輩の例を語ってみましょうか、独特な個性を嫌がられて損な人でした、私とは気が合いましたが。
病院へ入院すると必ず私に連絡してきました、見舞いの催促かどうか知りませんが ?
時は冬12月、蜜柑の採り入れの最盛期、当然病院へお見舞いに出向く、話し相手になって一定時間が来ると私は辞退する。
ミカンを持って来たので持って帰れと言う、有り難く頂戴する、しかしコンテに納まっているのは日数の過ぎた萎びたミカンと腐ったミカンがチラホラ混じっている ?
どうなんかな先輩 ? おいら園芸家の卒業だぜ (冗談)腹の中では、もらわない方がいいよ先輩 ?
しかし、お人好しの私は笑顔で頂戴する、頂きます !家に帰って家内に見せる、先輩の腹が一発で分かる。
損か徳か ?
人間の本心が見事に現れる、ケチということは人が離れると同義語、それからしばらくして先輩の死亡が伝えられた、寂しい葬儀告別式の模様が風に乗って届いて来た。
村一番のミカン農家、後を継ぐ後継者の肩身は狭い。
貧乏癖から抜け出せなかった寂しい人だった、ケチが徹底していた、ある面では可哀想、金は腐るほどあるのに。
小さな頃からの貧乏暮らし、金持ちになっても貧乏への恐れ、その裏返しが極端なケチになったのである。
でも、そんな先輩だが、他の者は去っても私は最後まで付いて行った、「S 君 ・・・ !」その優しさが忘れられない。
柔道で近隣に名を売った男でもある、その勇猛は消えない。
良い面もたくさんあっただけに助言する友人が出来なかった不幸、身から出た錆とはいえ寂しい人だった、 先輩 !
ケチから脱却、卒業すると沢山の人が寄って来る
あなたを取り巻く周囲の色が鮮やかに輝いてくる。
人と無限の愛が幸せを運んでくれるのである。
合掌。