バシ-! 左の頬に激痛が走った、それは明らかに不意打ちだった。
校庭の一角に直径10mほどの農業用水のため池が在った。
その内1ケ所に5段ほどの石段が水面に向かって下りている、
何をしょうとしたのか今では思い出せないが、其処へ足を踏み入れたと
同時に左頬に衝撃を受けたのである。
何! と横を見ると農業科の指導員が怒った顔で睨んでいた、
傍にいた同級生も一瞬あっけに取られて呆然としていた。
その頃、悪友達数名が悪さをして何日間の自宅謹慎を申し付けられる
時期だったような記憶がある。
当時おとなしい学生だった私は、何故? と腑に落ちなかったが
グッと我慢をして気持ちを抑えた。
今でも前後の記憶が定かでないので、もしかしたら悪童の悪戯を私の
仕業と指導員が勘違いしたのかもしれないと思うことにしている。
さすが指導員でも番長達には文句を言えなかった、だから、その鬱憤を
おとなしい私に向けたと云うことである。
学校側と学生の立ち居地、力関係が大きく揺れ動く時代でもあった。
その事件が、理不尽なものに反発する私の分疑点になったのである。
空手道に傾注するきっかけでもあり、弱いものを助ける男気の芽生え
日本に対する外国勢力の軍事力を振りかざした理不尽が私の正義感を
突き動かせている。
話せば分かると云う人間の善意は、今の世界情勢には当てはまらない、
力こそ全て、軍事力、この後ろ盾がない限り国の将来は立ち行かない。
一国主義が通用しないことは政治に携わる者はみな知っている、
只、本音と建前を使い分けるから、可笑しな解釈になってしまう。
虎視眈々と狙う国がある、
国民を守る義務の政府は、国民を守ろうと脇を固める、それを由としない
政党が理屈を捏ねて反対している、これが国会での論争である。
誰が真に国民を守ろうとしているのか、のんきな平和ボケの国民は真剣に
目を覚ます時期に来ている。
自衛隊員が死ぬ時は、国民の身にも死が迫っている時なのである、
国民は安泰で自衛隊員だけが戦死するというプロパガンダ-を信用しては
ならない。
座して死を待つ愚は、冒すべきではない、同盟国との揺ぎない同盟こそが
唯一、我が身を守ってくれる、 集団的自衛権の必要性がここにある。