あの山越えて 母よ
蒸し暑い夜が明けた、寝苦しさは気温のせいばかりではない、ひとりの日本の母が天に召された。
故郷を後にしてたどり着いた山間の町、事業家の主人に先立たれた妻は必死に子供達を養育して余生を迎えたがその余力は残されていなかった。
病院へ搬送される車には長男が付き添っていたが、息づかいはそこで尽きたのである。
突然の電話だった、少し前にお会いしたばかり、母上は気丈に子供達の事を頼んで笑顔を見せた。
それが永遠の別れになった。
寝苦しい夜が明けて、葬儀告別式にあの山越えた、それは何年か前、私は壮大な起業に参加した。
それが彼との出会いだった、数年後、彼の事業は年商数億円に達した。
従業員も数十人に拡大した、私は起業家として成すこと叶わなかったが、補佐することで成功を収める若手を育てている。
そして今、ある事業家に請われて会社経営に参加してくれと要望されている、その誘いに乗れば余生は安泰だが、私のシンパシーが許さない。
このままでいい、そう良いのだと自分を戒めている。
欲を出さないこと、自然体が良い、携わる人間が成功を収めれば良い、名伯楽というポジションを貰えるならそれで良いのである。
私の人生に、数多くの男達が通り過ぎた、我欲の塊がいて鬼畜野郎がいた、そして矢も尽き果てて野垂れ死にした !
何の金儲けか ? 途中挫折して何の事業家か !
余りに儚い男達の旅路、それで良いのか、貴様達よ ?私の事業欲は、たかが40前に挫折した。
肉親とのしがらみに、我が設計図は閉じられたのである、挫折感 ! 煩悩からの脱出は叶わなかった、余りに心に傷を負い過ぎた !
若手の育成、知恵袋として社会還元を果たしている、そこに年寄りが寄って来る、笑いと日々の生きる糧を求めて。
「Sさん! 相談に乗ってよ ?」
生き甲斐は人の為にこそある、自分だけの欲は自己完結のみ!人との輪にこそ生き甲斐は生まれる、私の知己は県内に収さまらない、日本の中心に、辺各地に広がる。
日本を語るには歳を取りすぎたが、時代を担う人間育成には今こそ必要なのである、遅すぎるという事はない。
あの山越えて・・・
母上との別れに家族の歴史が見える、悲しみに涙し、その身にすがる子供、孫達、それは数十年前の私の姿、父を母を見送ったあの日の慟哭に重なっていた。
その地は、私の先祖が生を受けて育った町、高原の陽射しが悲しみを和らいでくれた、霊柩車を見送って私の車は水郷の地に向かった。
そこは青春の1ページが記憶された城下町、おはなはんのたおやかな町でもある。
あの山越えて、
肉親との別れ、流れる汗と頬を落ちる涙が微妙に和合している、
夕方には帰れるかな ?
ある企業から具体的な契約の日程が知らされた、
ある役所の担当者から悲しい結末の終了が報告された。
あの山越えて、里越えて !
人生は辛い事 嬉しい事の 繰り返し Sの我慢を試される !
負けてなるか ! 良いことあるさ !
巨大駐車場の真上に大きな入道雲が迫って来た、
「苦労はお前だけじゃない ! その内良いことあるさ !」
あの山越えて、谷越えて !?