春らしい青空の下、私はその墓地に向かった、爽やかな春風が喜んでいるように頬をそよぐ、小さい頃から先を走り続けた先輩S三君の墓に着いた。
時期的に雑草が生えてシキビも枯れているのではないかと心配して手配して出向いたが、先輩の眠るお墓は案に相違して 綺麗に掃除され、シキビも真新しく飾られていた。
残された家人と縁者の先輩及び先祖への想いが見事に表されているようだった、いろんな感慨を覚えながら私はY家墓地に手を合わせた。
若干20歳の春、松山市鉄砲町、北高南、電停の少し西に先輩の家は在った。
親同士が親戚づきあいをする程の仲だったので私が無理に頼んで下宿させてもらったのである。
私の基本はここで培われた、先輩は当時の松山商科大学の3学年柔道部で情熱を燃やし青春を謳歌していた。
まだバンカラ気質の残る大学生活、私は憧れと羨望の眼差しで彼を見上げた、
田舎の後輩が3人下宿しており、S三君を兄貴と慕って戯れていた、人情味溢れた下宿生活は何物にも変えられない寺子屋授業だった。
夕食の終わった後は、郷里の後輩Aの部屋で私以外先輩を中心に楽しい団欒のひと時、羨ましかったが、私は日曜日をのぞいて連日の空手道場での稽古、密度の濃い稽古についていくのが精一杯だった。
叩かれ、蹴られて、シゴかれる、だが決して稽古に根をあげることはなかった、強くなる喜びを身体全体が受け止めていたからである。
その下宿屋の先輩は、東京の一流企業に就職したがその後縁あって地元愛媛県のボイラーを製造販売するM製作所に転職する、彼の人生はあれよあれよという間に出世街道を走る事になる。
元大臣秘書に請われ、政治の世界に歩を進める、私達とはかけ離れた人生になったが、先輩自身よりも両親の故郷を思う郷土愛はどんなに出世しても変わる事はなかった。
県会議長に上り詰めたが、わ兄姉、妹弟、そして最愛の次男の死で先輩の生きる希望はローソクの火が静かに消えるように細くなって行った。
親を想い、兄弟姉妹を想う子煩悩な男は勤めを終えたかのように黄泉の国へと旅立って行った。
昨日、先輩を親身になって支えて下さった I 元東温市市議会議長さんとの御茶席に先輩の奥さんも御同席され、懐かしい思い出話に花を咲かせた。
そして、今日の昼、先輩の眠るお墓へ参拝に出向いたのである !
「S三君 !」 「Yやん !」お互い子供の頃の呼び名で私は先輩に語りかけた、頬をそよぐ春風が追憶の鉄炮町へと誘ってくれた。
人死すともその想いは永遠に消える事はない、今世と来世を跨いで絆が途切れる事はない、先輩は希望の星だった正義感を備えた柔道一筋の男でもあった。
S三先輩と愛しの鉄炮町に敬礼 ! 残された家族の未来に幸多かれと。
鉄砲町遥かなり S先輩 ! !?