年輪
年輪を重ねると過ぎ去りし過去が輪を描いて問いかけてくる、微妙な曲線に我が生き様が見えてくる。
私にもこの年輪が刻まれている、喜怒哀楽を迎える前の純な時代、知識膨らむ少年期、異性を意識する青年期、生活にあくせくして家族養う壮年期、年輪は無意識に刻まれて来た。
(ああしておきたかった ?) 後悔の航跡はいずれ消えてゆく、唯、後に残る果実は実ったであろうか ? 心もとない。
若者たちの言葉使いに目が行く、親の教えと学び舎の残影、生徒と教師の絆がその後の人生を左右する。
街では年代もそうだが季節ごとに新しい言葉が生まれる、悪く取ると、日本語の劣化、若者世代の自由度の表れ。
古い人間から見ると、意識して美しい日本語を絶やす策謀かとも思わないでもない、マスコミの反日具合を知るだけにそう思わざるを得ない。
年長者に対する礼儀作法も残念だが廃れて来た、それは道徳教育絶廃の成れの果て、犯罪多発も影響していると思う。
そう言いながら若者たちだけを責められない、責任ある大人たちが真っ先に責任逃れをする風潮、世直しが必要である。
政治を見て、世相の「隣の人は何する人ぞ!」に落胆する程に日本を取り戻せの感深し。
別に横着になる必要はないが自分の生まれた国を誇りに思える矜持は持ち続けたい。
冷静に落ち着いて日本人を見た時、あなたなら信頼できますか、国への誇りの前に余りに自己優先、特に反日国家から軽く見られるはずです。
狭い枠に閉じ込められ、井の中の蛙だった男が知己を得て広い世界へ歩を進めた、己の限界と未知なる夜明け、壮大な希望が湧いて来た、青年よ目を外に向けよ、世界へ飛び出せ。
小さな存在にサヨナラするのだ、未来は君を待っている !
人の噂話をする暇があったら噂される男になれ、真実の悪口ならそれが飛躍のキッカケになる。
私はそうして自己を鍛えて来た !?