おねだり
兵庫県知事の一連の出来事で私が最も嫌う問題に触れてみる、
「おねだり」 小さな田舎にも貧富の差はつきものでそれぞれにそれなりの特徴を嫌というほど見聞きした。
言わずと知れて我が家は貧乏百姓! その対局に金持ち親族の家柄が数軒権力を握っていた。
日々の暮らしにも事欠く家の人たちは質素ながらも気遣いの出来る暖かい気持ちの持ち主が多かったが金持ちさん達にそれらの情愛はほとんど見受けられなかった、それが子供にも言えたのである。
おごってもらう(与えてもらう) 事はあっても相手(びんぼうにん) へおごる(与える) 事など見ることもなかった、金持ちはケチ!それが共通した見方だった。
今回の斎藤知事問題に出て来る「賤しさ?」に見る不快さである。
マスコミ報道を引用するが、おねだりが本当だったら、その親族の姿形が想像される。
幼少時代から貧乏の何たるか? ぶげんしゃ(金持ち)の驕りを知る私の対人間関係への見方がここから発っしている。
私は小さいながらも行政書士事務所を開業して多くのクライアント同業者及び関連資格者の助けをお借りして最終章に向かっている。
忘れずに心がけたことは、気遣いと御礼の気くばり、細やかだが私の感謝の気持ちを届ける事だった。
仕事の内容によっては、同業者諸氏の協力を仰ぐ事がある、私の方が、彼等へ仕事を回す立場である、それなのに折を見て彼等へ感謝を込めた品を渡す。
十人十色、人間の姿が見事に現れる、私はその代償に気を使わない生き方をして来たが、そこに彼等の性格が見事に現れる、
「すみません」「ありがとうございました!」 だけで終わる人 ?
返礼にはなったが、お返しを心がける人、ここに人間の素が現れる。
兵庫県知事のおねだりが事実なら、これほど人間性が現れる事はない。
県民から敬われる事など有りようもない、驕りの何ものでもない。
ちょうど今日、何らかの沙汰が降りるとの事である、
私はそれを静かに待っている。
「おねだり」私始め亡き両親が最も忌み嫌った言葉だった。
県民の声に答えられる知事である事を願う。
おねだり !?