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人生

京都への返信

京都への返信 

私の性格と交友関係、その足跡と広がる人間関係を思うと、孤独に家に閉じ篭もる人から見ると私は異邦人、宇宙人と錯覚して笑われる。

人間の好み(好き嫌い) がその年代によって大きく変わった、変わったというよりも受け入れる人間の幅が広がったというべきなのだろう。

多種多様、良いも悪いも私は受け入れられるのである、あれほど好き嫌いの激しかった私という子供が、他人が恐る人でも受け入れられたのである。

25歳から37歳までアルコール類に囲まれて人間を相手にして来た、正常な人間を酔っ払いにさせる意地悪な酒、提供する側の信念がないと間違いに手を貸すことになる。

私はその点、金儲けよりも正常な人間関係を求め付き合いの幅を広げていった、その結果が今回の京都からの便りにつながって行ったのである、同じ空手道を求めた師匠の知人、その愛娘夫婦との交友関係に開花した。

先日帰郷の折の思い出話が先程まで思い出綴りとしてメールに、流れた、私が気の会う女性は活発なアッサリ系、妹と位置付ける存在は多数に上がる、好きよ嫌いよは大和撫子、純日本風女性。

先般もそうだが夫婦揃って私の健康を心配してくれる、有難いね!

その!私の胸の底には人に言えない純粋な慕情がある、生きている間に間に合うか、運命と宿命に私は賭けている。

会いたい、逢って詫びたい、男女の仲を超越した人間としての尊厳、

私はお天道様と先祖に問いかける、「もう少し待ってよ!時間よ止まれ!」

(それが成されたら私は運命に従います !)

京都からの便りは、続編 京都からの返信に至るのである。水商売は思いもよらぬ人との出会いを創造する、また社会では陰惨な事件が後を絶たない !

人間社会の悲しい宿命なのか、実社会は想像もつかない突発事故が起きる、私の身にも降りかかって来た事がある、その最たるものは、ある場所での男同士の修羅場! 刃物が飛び交う寸前の事だった。

その町の怖いお兄さん達が集まっていたパチンコ店に2人の男が居た、彼らは何事か言葉を交わしたが突然罵声に変わった、求めたくはないのに私は止め役に立たされた、刃物が出る寸前だった。

店、特に水商売は色々な人の出入りがある、誘惑にもさらされる、そこでイエスかノーを言えるかどうか、経営者の矜持が試される、特に反社の人間に対しては。

こんな場合、物好きな止める者はいない、もしかして、あの時、一瞬の油断で私は被害者になっていたかも知れない、よくぞ難を逃れたものである。

その後、噂を聞いた私の竹馬の友が「おまえは〇〇が強いというが〇〇は怖いぞが!」 と言った、この修羅場は、本物の男伊達2人の際どい場面だったのである。

平和である事の有り難さは、何事もなしでは成り立たない、備え有ってこそ!なのである、日米安保、自衛隊の存在があってこそなのだ !

京都への返信、「いつまでも仲良く幸せにね !」夜風に襟が欲しくなった。

京都への返信   !?

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