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人生

高原の町 南へ

高原の町 南へ

私がまだ20代半ばの頃、興信所へ勤めている後輩が先祖を辿ってくれたことがある。

ところが世間から忘れられたような250軒余りの寒村なのに終戦後のどさくさに、そのお寺・菩提寺が火事で滅失したのである。

全ての村民の過去帳が無くなってしまい、先祖を辿る事ができなくなった。

市役所に相談したもののなす術もなく落胆することになる。

それでも根気よく僅かに各家庭に残っていた資料を元に調査をしてくれた、そこで分かった事は、私の5代前が昨日投稿したブログに触れた町の隣町から海辺に面した私の村へ養子縁組により移って来たという事実が分かった。

私が農村、漁村の人々とウマが合うのは、そんな生い立ちに由来することが分かった、思っても見なかった高原の町、田圃の中を畦道が通る、田園風景。

私の心の中で絵も言えぬ喜びが湧き上がった、県都松山市へ出て来たら県内各地から多くの人々が故郷を後にして出て来ていた、漁村から高原の町に住みついて根差した我が人生、そこには不平不満の何ものもない。

西陽を浴びて沈む夕陽の向こうを想像した少年は反対の県都に骨を埋める運命を選んだ、歳とともに感謝の念が増す、貧乏だったが恵まれた交友関係にただ感謝しかない。

昨日の宇和盆地は私たちを暖かく迎えてくれた、同行した同志と役所の職員とは同郷のよしみで方言が飛び交った。

素朴な言葉に説明はいらない、あなたと私、同じ人間です、作り笑い等要りませんよ、

地域の役員さんの心のこもった再会を期待する言葉に見送られて高速道インターチェンジを目指した、車内は止まるを知らない会話に弾んだ。

分刻みの予定のせいで、食事の時間を忘れていた、終着駅のインターチェンジは、我が家の前を流れる一級河川の真ん前にある、馴染みのカフェに席を移して子供の頃よく頬張ったホットケーキを所望した。  

優しいウェイトレス嬢の笑顔に母を思い出した、男はいつになっても母ちゃん子、

一人ひとりの胸の中に大事に仕舞われている、せめて一度でいい・・逢いたい !

母がかまどにむせながら作ってくれたホットケーキ・・・

バックミュージックが童心の昔へと誘ってくれた。

我が故郷は、季節の変わり目に佇んでいる、みかんの取り入れがそこに来ている。

幸せは不幸と隣り合わせ、感謝の念を忘れると見えて掴めるはずの幸せが逃げて行く、

素直な気持ちで感謝するところに不幸は寄りつかない。

運転がおぼつかなくなった黄昏の年寄り、素敵な人の運転でまた高原の町、南へ・・・行きたい !

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